金為時
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経歴
『陸奥話記』によると、前九年の役では陸奥国気仙郡司として国司・源頼義に従って戦う。敵方である安倍氏側には同姓の為行・師道・依方の名が見えることや、兄弟との伝承のある為行が安倍貞任の舅であるとの史料があることから、陸奥在庁官人として藤原経清・平永衡らと同様に安倍氏と婚姻関係等を結び、一族として行動していたことが推定される。天喜4年(1056年)に永衡が謀反の嫌疑で殺され、経清も安倍方へ投じたが、為時は源軍として退却の"しんがり"を勤め厳冬の前線を死守した。戦闘は膠着したが、天喜5年(1057年)9月に為時は下毛野興重とともに頼義に奥六郡背後の攪乱、具体的には釶屋・仁土呂志・宇曽利(現青森県東部-岩手県北部か?)にかけての夷人の首(かしら)である安倍富忠を調略を進言する。結局この攪乱は成功し、富忠を味方に引き入れることに成功する。安倍頼時は富忠らを思いとどまらせようと自ら向かい利害を陳べようとするが、富忠の伏兵に攻撃を受け横死した。
その後も、安倍氏は頼時の遺児貞任を中心に戦い、戦いの帰趨は清原氏の援軍を待つこととなったためか、前九年の役後の康平6年(1063年)2月25日の除目に為時の名は見られない。