金氏 (奥州)
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金氏(こんし)は、日本の氏族。奥州金氏、気仙郡金氏、磐井郡金氏、安倍氏流金氏、コン姓とも呼ばれる。
「金」と表記して「こん」と発音する。
出自
奥六郡の南隣気仙郡・磐井郡を地盤とし、前九年合戦においても活躍をみせた金氏は、安倍氏・清原氏と並び勢力を割拠した。
特に安倍氏とは密な婚姻関係を持っており、安倍為元は安倍氏直系の血族ではなく金氏出身の金為基が入婿した事による姻族であったと考察されている[1]等、独立した勢力であり、気仙・磐井における金氏の勢力伸長の経緯は陸奥国の開発・産金との関係で語られることが多い。
埼玉郡金氏
列島本州に定着した金姓の記録としては先ず、天平5年(733年)に武蔵国埼玉郡の新羅人徳師(金徳師)等の男女53人が朝廷に対し金姓を名乗ることを要請し朝廷がこれを認めたというものがある[2]。
朝廷が投化・帰化した三韓等の出身者に日本姓を下賜する例が多い中、対照的に新羅人が朝廷に金姓を要請した事例であり、東国の開発に従事した新羅人集団の中に新羅王族金氏始祖の金閼智の子孫を称する氏族がおり、金氏を名乗ったとされる[3]。つまり新羅の国姓である「金」を踏まえたものである。よって平安時代後期の陸奥国の豪族であった金為時の属する気仙郡金氏の始祖を金徳師とする説がある[4]。
柴田郡金氏
陸奥国への金姓の移動の記録としては、天長元年(824年)、新羅人辛良、金貴賀、良水白等54人を陸奥国に安置したという記録がある[5]が、『倭名類聚抄』国郡部に陸奥国柴田郡新羅郷(宮城県柴田郡川崎町に比定)の記載があり、配置先として考察されている[6]。 この金貴賀が始祖となる金氏の系統である。
天長期の新羅人安置については気仙・胆沢方面に実施され、金鉱開発などにあたり、気仙郡金氏・磐井郡金氏の源流であるという説もある[7]。
気仙郡金氏・磐井郡金氏
平安期以来、気仙郡・磐井郡(宮城県気仙沼市・登米市及び石巻市の一部・本吉郡南三陸町、岩手県一関市・西磐井郡平泉町および奥州市の一部)を中心に勢力を有した豪族を指す。
その由緒は、安倍倉梯麻呂を遠祖とし、その後裔で貞観元年(859年)に初代気仙郡司として下向した安倍兵庫丞為勝(ためかつ)を始祖とし、貞観13年(871年)に郡内の金山から産出の金を朝廷に献上したことにより金姓を賜ったとしており、後世その末裔を伝える家は多く、金[8]、昆[8]、今[8]、近、紺、金野[8][9]、昆野[8]、今野[8]、紺野[8][9]、近野、横山氏[8] などもその流れを汲むといわれる。 岩手県大船渡市日頃市町の長安寺の傳には「金氏は安倍倉橋丸の裔孫」とある[10]。
なお、各系図とも後裔の平安時代後期の陸奥国の豪族金為時(ためとき)について年代を同じくするが、その後は一致しない。次に合致するのは平泉藤原氏滅亡時の気仙郡の旧豪族金為俊の代である。