金輔鉉
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キム・ボヒョン 金 輔鉉 김보현 | |
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| 生誕 |
金 輔鉉 1871年8月19日 |
| 死没 |
1955年9月2日(84歳没) |
| 配偶者 | 李寶益 |
| 子供 | 金亨稷(長男)、金亨権(三男) |
| 親 |
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| 親戚 |
金日成(孫) 金正日(曾孫) 金正恩(玄孫) 金主愛(来孫) |
| 金輔鉉 | |
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| 各種表記 | |
| チョソングル: | 김보현 |
| 漢字: | 金輔鉉 |
| 発音: | キム・ボヒョン |
| 日本語読み: | きん・ほけん |
| 英語表記: | Kim Bo Hyon |
金 輔鉉(きん・ほけん、キム・ボヒョン、김보현、1871年8月19日 - 1955年9月2日)は、李氏朝鮮時代の小作農民。平安南道出身。漢方薬店主金亨稷の父。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)国家主席金日成の祖父。国防委員長の金正日の曾祖父。本貫は全州金氏。金正恩の高祖父。
- 李氏朝鮮平安南道大同郡で、小作農民金膺禹の長男として生まれる。
- 父の金膺禹が早く死亡したため、生活に困窮し、平壌付近の地主李平沢(リ・ピョンテク)家の墓守兼小作人をしていた。
- 李寶益と結婚して、長男金亨稷(金日成の父)、二男金亨禄、三男金亨権、長女金九日女、次女金亨實、三女金亨福の3男3女をもうける。
- 光復以後、孫の金成柱が抗日の英雄金日成将軍として、朝鮮に凱旋した折、年齢の若さから偽者説・中国人説などの風聞が起きた為、慌てたソ連側は、1945年10月15日に、金日成を万景台に住んでいた実家に訪問させ、抗日として戦っていた戦歴の口裏を合わせる工作を行った。
- 輔鉉は誠実な人であったため、欺瞞に耐えられず、後日平壌で行われた金日成将軍の凱旋祝賀会には欠席をしている。
- 孫の金成柱が朝鮮民主主義人民共和国を建設し、親族が官僚に登用される中で、政府の要職に就くことを嫌い、万景台で従来通り、農夫として生活した。素朴で控え目な人物として知られている。1955年9月2日、84歳で死去。万景台の墓地には、彼の半身像が建てられている。
北朝鮮での評価
- 「小作農として生まれ、数々の苦心の中で生きながら、子や孫たちに愛国心を教え、その活動を熱烈に支援した人物である」と評価されているが、これは北朝鮮当局の宣伝による内容であり、実際の人物像とはかけ離れているという。