金鶏学院
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概要
東京市小石川区原町(現:東京都文京区白山、同区千石)の酒井忠正伯爵邸内の金鶏園に創立。「金鶏」の名は、源義家に関する言い伝えによる。東北遠征の途上、同地に野営した義家の夢枕に黄金の鶏が現れ、夜明けを告げた。義家はこれを吉兆として、勇んで北上したという。
学院設立を支援した酒井[3]が院長に就任、安岡が学監を務め、内務官僚だった吉田茂[4]が顧問を務めた[5]。幹事には後藤文夫[1]、結城豊太郎、松本学[1]、赤池濃らが名を連ねている。1927年(昭和2年)に財団法人の認可を受け「財団法人金鶏学院」となる。松下村塾・藤田東湖の塾の再現を期し、権藤成卿らが儒教や国体、制度学の講義を行った。目前の実行、日常生活の闘争を主旨とせず、精神教化の結果が日本改造の原動力となることを期して[6]その指導者の育成に努めた。
聴講生は軍人[7]、官僚[8]、華族が中心であった。また、井上日召や四元義隆といった、のちの血盟団の構成員も含まれた。卒業生には宮澤改造内閣で環境庁長官を務めた林大幹らがいる。
関連書籍
- 亀井俊郎『金雞学院の風景』 邑心文庫、2003年、ISBN 4946486305
- ※著者は安岡の高弟・亀井一雄の息子
- 安岡正篤『幕末と志士道』 金雞学院(金雞文藪)、1935年(ISBNコードなし)
- 「愛国団体一覧表」出版地・出版者・出版年未記載。ガリ版。90頁。24cm。オックスフォード大学ボドリアン図書館所蔵。