蜂田神社
大阪府堺市中区八田寺町にある神社
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祭神
歴史
詳しい創建年は不詳であるが、この地方に住居していた蜂田連の一族がその祖先である天児屋根命を祭神として祀ったとされる。蜂田連が土焼きの鈴12個を作り毎年春の初めに神前に供え、鈴音の良し悪しでその年の吉凶を占ったという古事から鈴の宮とも呼ばれる[1]。また、延喜式神名帳に記載されている和泉国大鳥郡の式内社である[1]。
永禄年間(1558年 - 1570年)以前は現在地より西1丁余りの山麓に鎮座していたが、永禄11年(1568年)の三好三人衆対松永久秀の家原城攻防戦が原因となって現在地に遷宮したと伝わる[2]。
石橋直之は元禄13年(1700年)に刊行した『泉州志』で蜂田神社は平井村(現在の堺市中区平井)に在り、祭神を蜂田連の祖の天児屋根命としている。
近世には神宮寺として西林寺を併有していたが、明治時代になると神仏分離によって廃寺とされた[2]。また、当社は村社に列せられている。
1910年(明治43年)には付近の村社6社と無各社2社を合祀している[2]。
鈴塚
もともと蜂田神社での神事に使用された土鈴を埋蔵したのが始まりとされている。
昭和四年以降、節分の当日に干支の土鈴が授与されるようになり、のちに授与された土鈴や破損した鈴をこの地に埋蔵する風習が生まれる[3]。
現在でも、破損した鈴などをお清めした上で埋蔵している。
境内
風鈴祭り
所在地
- 大阪府堺市中区八田寺町524
