鈴木政紀
日本のサッカー選手
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来歴・人物
国士舘大学から東芝に入社してサッカー部へ。1993年にホルヘ・デリー・バルデスとコンビを組んで活躍したことがきっかけで認められ、1994年にジャパンフットボールリーグからJリーグに昇格したジュビロ磐田に移籍。それを契機に「政紀」から「将方」に改名した。
この年は中山雅史やサルバトーレ・スキラッチらフォワード陣が故障がちだったこともあり、Jリーグ1年目の磐田を引っ張る活躍を見せた。翌年以降は「ゴン・トト」の2トップが定着したため、途中出場やミッドフィールダーでの出場が多くなった。1996年以降は負傷のために出場機会が減り、1997年引退[2]。
その後、浜松市でセレゾン浜松フットサルクラブの立ち上げに参画して責任者に就任し[3]、フットサル指導者へと転身。
2007年、Fリーグ・デウソン神戸の監督に就任し、辞任する2009年1月まで指導を続けた[4]。
その後、セレゾン浜松のスタッフへと復帰し、静岡県フットサルリーグでは選手としてもプレーしていた。
2018年からは古巣・磐田の下部組織のコーチ、2023年から2年間は磐田U-15WESTの監督を務めた[5]。
選手時代
所属クラブ
- 府ロクサッカー少年団(現 府ロクサッカークラブ)
- 1984年-1986年 堀越高等学校
- 1987年-1990年 国士舘大学サッカー部
- 1991年-1993年 東芝サッカー部
- 1994年-1997年 ジュビロ磐田