鈴木慶裕

From Wikipedia, the free encyclopedia

国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1963-05-21) 1963年5月21日(62歳)
身長
体重
173 cm
76 kg
鈴木 慶裕
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都大田区本羽田[1]
生年月日 (1963-05-21) 1963年5月21日(62歳)
身長
体重
173 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1988年 ドラフト2位
初出場 1989年4月8日
最終出場 1998年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

鈴木 慶裕(すずき よしひろ、1963年5月21日 - )は、東京都大田区出身の元プロ野球選手外野手)。

武相高では1981年夏の甲子園神奈川大会で準々決勝に進出するが、日大高に敗退。武相高校では遊撃手だった[1]。高校卒業後の1982年亜細亜大学へ進学し、外野手に転向する[1]東都大学野球リーグでは同期三原昇東芝)、1年下の阿波野秀幸の両エースを擁し、3年時の1984年春季リーグの優勝に貢献。同年の全日本大学野球選手権大会では決勝に進むが、3年西川佳明投手擁する法政大に延長11回法政2年山本貴のサヨナラ本塁打により3-×6で惜敗、準優勝にとどまる。リーグ通算85試合に出場し316打数76安打、打率.241、1本塁打、19打点。大学同期に三原や古川慎一らがいる。

1986年に大学卒業後、社会人野球日本石油に入社。

1986年都市対抗野球では1番打者、中堅手としてチームの優勝に貢献し、2番を打った若井基安とともに若獅子賞を獲得。その後も都市対抗野球には連続出場し、1988年都市対抗野球では東芝の補強選手として出場し、自身としては2度目の優勝を経験。

1988年のプロ野球ドラフト会議日本ハムファイターズから2位指名を受け入団[1]。俊足巧打の即戦力ルーキーとして期待され開幕から1番打者、中堅手に抜擢される。同年は規定打席には届かなかったが85試合に先発出場。

1992年前半戦には2番打者として打率4割近くを記録する活躍を見せた。後半戦は失速するが、選手生活で唯一の規定打席に到達し、打率.284(リーグ15位)の好成績をあげる。

1994年に死球を受け手首を負傷してから成績が低迷。

1996年にはプロ入り初の一軍未出場に終わり球団から戦力外通告を受け自由契約となり、福岡ダイエーホークスにテスト入団[1]

1998年オフにチームの若返りの方針により戦力外通告を受け現役を引退[1]

1999年福岡大学大学院体育学研究科(修士課程)に入学した後、ホークスジュニアアカデミーのコーチを務めた[2]。現在は、「ろばた焼 磯貝」藤崎本店で調理人として勤務する。

お笑いタレントの出川哲朗は高校の同級生。パンチ佐藤(佐藤和弘)は高校・大学で野球部の1年後輩。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1989 日本ハム 1073533134079426105212213732802347.252.315.335.650
1990 862221933147602599851031303270.244.297.306.603
1991 551681481539614591333701300251.264.323.399.722
1992 120491430561221056160342082412827732.284.337.372.709
1993 1143563183779142210330228732315523.248.307.324.630
1994 722382172053813721774401205292.244.299.332.631
1995 58139124122151028313111043272.169.246.226.472
1997 ダイエー 65373511700074010020050.200.243.200.443
1998 3470638191012351131310120.302.328.365.693
通算:9年 711207418412304665412246161368446631213282528417.253.310.335.645

記録

初記録
その他の記録

背番号

  • 2 (1989年 - 1996年)
  • 0 (1997年 - 1998年)

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI