本羽田
東京都大田区の町名
From Wikipedia, the free encyclopedia
概要
歴史
「羽田郷土史」では、羽田村は源義朝が平清盛に敗れた平治の乱の後、源氏の落武者7人が羽田浦に漂着して開村したと伝えているという。(よく似た話は琵琶湖の沖島などにもある。)
羽田村は中世以来漁村だったが、比較的早い段階で現在の東糀谷辺りが干拓され、六郷領用水が羽田地区まで引かれたこともあり、農村として発達した側面ももっていた。
1693年(元禄6年)頃、多摩川に面した一帯の漁村部が農村部と分かれる形で羽田猟師町が分村、当初その境界はあいまいだったとされる。同年に萩中村も分村された。
1829年(文政12年)、現在の羽田空港にあたる開墾地が、羽田猟師町から分かれて「鈴木新田」と名付けられた。その後、羽田村・羽田猟師町・鈴木新田の三集落を合わせて「羽田三ヶ村」といわれるようになった[5]。
1889年(明治22年)5月1日、町村制の施行に伴い、東京府荏原郡麹谷村・萩中村・鈴木新田・羽田猟師町・羽田村の全域が合併し、東京府荏原郡羽田村が発足。現・本羽田にあたる地域は、東京府荏原郡羽田村大字羽田となる。
1907年(明治40年)10月4日、羽田村が町制施行して東京府荏原郡羽田町大字羽田となる。
1932年(昭和7年)10月1日、荏原郡全域が東京市に編入。東京府東京市蒲田区羽田本町と改称された[6]。同時に東側が大字羽田猟師町と合わさって、羽田一丁目および三丁目として分離した。
本町は都の隅に在り、多摩川口の左岸に位し、東は東京灣に面してゐる。 穴守稻荷の存在に依つて古くから知られた漁村であるが最近東洋一の飛行場の設置に依つて共の名は世界的となつた。小田原北條氏の時代には羽田浦又は扇ケ浦と稱し家人行方彈正の所領となり、德川氏入國後は其の直領として代官を置かれた。元祿六年羽田村から羽田獵師町を分ち、同年更に羽田村から萩中村が分村し、文化十二年羽田獵師町から鈴木新田を分つた。天保十四年に幕府は海外の事情(阿片戰爭)に鑑み此地に奉行を置き老中眞田幸貫をして羽田奉行に任じ砲臺を築かしめた。明治元年品川縣に屬し、同年東京府の管下に入り明治二十二年に羽田、羽田獵師町、鈴木新田、糀谷、下袋、濱竹、萩中を合併して羽田村を編成したが同四十年十月町となった。漁業を以て生業としてゐる。本町は蒲田より分岐して居る京濱電車と京濱バスを唯一の交通機関として居る。 敎育施設としては本町は面積廣き爲め、尋常高等小學校二、尋常小學校二を有する。逐年兒童が増加する結果全校二部敎授を施工するの止むなき狀態である。 其他實業補習學校二、靑年訓練所二、尋常夜學校一がある。尚東京府立工藝學校の實習所が設置されてゐる。 町内の社會事業としては方面委員制度の外見るべきものなく、町營以外では府立勞働紹介所出張所が町役場内に設置されてゐる外私設の羽田保育會託兒所がある。
町内の神社佛閣を通じて著名なものは穴守神社だけである。 — 昭和7年刊『市域拡張記念 大東京概観 第六節 蒲田區 羽田町』より
1943年(昭和18年)7月1日 、東京都制により東京府と統合されて東京市は廃止。東京都蒲田区羽田本町となる。
1947年(昭和22年)3月15日、蒲田区が大森区と合併し、東京都大田区羽田本町となる。
1964年(昭和39年)4月1日、住居表示により萩中町・羽田本町などの一部から本羽田一丁目から三丁目が成立した[7]。
町名の変遷
| 実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町名ともその一部) |
|---|---|---|
| 本羽田一丁目 | 1964年4月1日 | 萩中町、羽田本町 |
| 本羽田二丁目 | 萩中町、羽田本町 | |
| 本羽田三丁目 | 萩中町、羽田本町 |
世帯数と人口
学区
事業所
施設
- 簡野学園羽田幼児教育専門学校
- 簡野学園羽田国際高等学校
- 東京都立つばさ総合高等学校
- 大田区立萩中小学校
- 大田区立出雲中学校
- 大田区立出雲小学校
- 大田区立都南小学校
- 糀谷作業所(就労継続支援B型事業所)
- ホームセンターコーナン本羽田萩中店
- オリンピック本羽田店
- 大田区立本羽田公園
- 大田区立多摩川大師大橋緑地
- 浄土真宗本願寺派海岸寺
- 浄土真宗本願寺派久宝寺
- 日蓮宗長照寺
- 日蓮宗本住寺
- 真言宗智山派正蔵院
- 真言宗智山派自性院
- 真言宗智山派秀明寺
