鋼鉄の歩み
From Wikipedia, the free encyclopedia
1925年6月にパリで初演された交響曲第2番の不評によって自信を喪失していたプロコフィエフに対し、同年夏、バレエ・リュスの主宰者セルゲイ・ディアギレフはバレエ音楽の作曲を依頼した。プロコフィエフは、当時バレエ・リュスで成功をおさめていた「フランス6人組」のメンバー(『うるさ方』(1924年)のジョルジュ・オーリック、『青列車』(同年)のダリウス・ミヨー、『牝鹿』(同年)のフランシス・プーランク)のような作品は書けないと断ったが、ディアギレフはプロコフィエフ自身のスタイルで、ソビエト連邦をテーマにした作品を作るように指示した[1][2]。
台本は当初イリヤ・エレンブルグに依頼する予定であったが実現せず、舞台美術担当となったゲオルギー・ヤクロフ(1884年 - 1928年)とプロコフィエフが共同で台本を作成した。2人はバレエのテーマを、当時のソビエト連邦で進行しつつあった工業の発展とし、ハンマーや斧を振るう労働者を登場させることで合意した[3][4]。ディアギレフもこれを了承し、『鋼鉄の歩み』のタイトルを与えた[5]。
あらすじ
- 第1場:革命による帝政ロシアの崩壊。
- 第2場:社会主義国家の建設。
初演
1927年6月7日、サラ・ベルナール劇場におけるバレエ・リュスのパリ公演で初演された。指揮はロジェ・デゾルミエール、振付はレオニード・マシーン。ディアギレフは白系ロシア人らによる示威行動を警戒していたが、目立った騒動も起きず、文句なしの大成功に終わった[6]。ただし、かつてバレエ・リュスの美術担当であったアレクサンドル・ブノワは、第1場における没落した貴族のシーンにショックを受け[6]、イーゴリ・ストラヴィンスキーは舞台上でハンマーを振るダンサーに嫌悪感を持ったという[7]。
パリ公演に引き続きロンドン公演も無事に終わった。反社会主義者に対する警戒心から、ディアギレフは威嚇用のピストルを持ってオーケストラピットで待機していたという[8]。
その後、1931年にレオポルド・ストコフスキー指揮によってニューヨークのメトロポリタン劇場で上演された際に、資本主義国の中心地でなびく社会主義の赤い旗を見て、プロコフィエフは爽快に感じたという[9]。