鍛冶屋
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鍛冶屋とは
歴史
戦国時代には多くの刀鍛冶、鉄砲鍛冶が武器の生産に従事した。多くの場合城下の一角に集められ、大名や武士の注文に応じた。各地に「鍛冶町」の地名が残るのはその名残である。
鍛冶(鍛冶屋)はもともと鋳物師らをも含む金属加工者を指し、製鉄に従事するものを「大鍛冶」というのに対し、刀鍛冶(刀工)を「小鍛冶」と称した。一方、包丁や農具、漁具、山林刃物などを手がける鍛冶屋は「野鍛冶/農鍛冶」と呼ばれ、かつては日本各地に数多く存在していた。こうした「野鍛冶」の中には明治以降に刀鍛冶や鎧鍛冶から転業した者も多い。しかし昭和30年以降農業の機械化や安価な大量生産の刃物の流通によってこうした「野鍛冶」は大打撃を受け、次々に廃業していった。とはいえ現在でも伝統的な野鍛冶は日本各地に存在しており、中には松山市の白鷹幸伯(薬師寺西塔の和釘で有名)など、名工として全国に名が知られている職人も存在する。

