鏡山城 (伯耆国) From Wikipedia, the free encyclopedia 鏡山城(かがみやまじょう)、または黒坂城(くろさかじょう)は、鳥取県日野郡日野町黒坂にあった江戸時代初期の日本の城。旧日野産業高校校舎とその裏山が城跡である。 別名 黒坂城城郭構造 山城、居館天守構造 なし築城主 関一政概要 logo鏡山城 (鳥取県), 別名 ...logo鏡山城(鳥取県)別名 黒坂城城郭構造 山城、居館天守構造 なし築城主 関一政築城年 1609年(慶長14年)主な城主 関一政廃城年 1618年(元和4年)遺構 曲輪、土塁、石垣、居館指定文化財 史跡等未指定[1]再建造物 なし位置 北緯35度12分23.6秒 東経133度22分56.8秒 鏡山城 テンプレートを表示閉じる 歴史 1609年(慶長14年)、伯耆国米子城主・中村一忠が無嗣除封された後、伯耆国は小大名によって分割支配され、日野郡の地は伊勢国亀山より関一政が5万石で入封することとなった。関一政は黒坂の鏡山に新城を建設し城下町も整えた。 しかし1618年(元和4年)、家中不統一(世継ぎ争い)を理由に改易されてしまい[2]、鏡山城も破城された。築城からわずか9年という短い存続期間だった。 関氏の後にこの地を支配した池田氏は鏡山城居館跡に陣屋を置き[3]、重臣・福田氏を置いて黒坂を支配させた。関氏の築いた南北3筋・東西5筋の城下町の街並みは今に残っており、武家屋敷も見られる。 遺構 鏡山の丘陵に削平地が残る。基本的には土塁を主として構成された城だったらしい。 山上には南北に細長い主郭があり、南端と北端に櫓台とおぼしき遺構も見られる。櫓台には破城を受けているものの近世初期の石垣が残る。山麓には居館跡が残っている。 脚注 [1]日野町教育委員会 2012「指定文化財一覧」『わたしたちのまち 日野町【歴史編】』p.31 日野町公式HP [2]日野町教育委員会 2012 p.31 [3]「鏡山城址」日野町公式HP 参考文献 日野町教育委員会 2012 「黒坂のまちと鏡山城」『わたしたちのまち 日野町【歴史編】』p.8 関連項目 日本の城一覧 Related Articles~TimelinesTop QsFact Checks