長井真琴
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日本におけるパーリ語仏典研究の草分けと評される。1924年(大正13年)、高楠順次郎らとパーリ語仏典の律の注釈書『サマンタパーサーディカー』の校訂に着手し、30年をかけて完成させている。NHKのパーリ語のラジオ講座も担当した。その間、1934年(昭和9年)には母校東京帝大の教授となる。1940年(昭和15年)、乞われて中央商業学校の校長を兼ねるが、現職の大学教授が私立学校の校長になるのはきわめて異例のことであった。1942年東京帝大を定年退官。
戦後、日本大学・東洋大学・京浜女子大学教授、国際宗教研究所名誉理事長を歴任。1951年(昭和26年)中央商科短期大学学長。1952年(昭和27年)9月、東京・築地本願寺における第二回世界仏教徒会議では副総裁を務め、1954年(昭和29年)には全日本仏教会副総裁となる。1955年(昭和30年)2月紫綬褒章受章。翌1956年(昭和31年)2月、日本及びカンボジア両国の友好関係に寄与した功績により、カンボジア国よりモニサラホン四等勲章を授けられる。5月、ビルマ・ラングーンにおいて開かれた仏教編集事業完成と仏紀2500年を記念する式典に日本政府代表として出席、国賓として迎えられた。1957年1月、セイロンで開かれた仏紀2500年記念式典にも日本仏教徒代表団の団長として出席し、やはり国賓として遇された。主著『根本仏典の研究』、『戒律の根本』など。
