長崎丸 (2代)
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| 長崎丸 (2代) | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 船種 | 練習船 |
| 船籍 |
|
| 運用者 | 長崎大学[1] |
| 建造所 | 藤永田造船所[1] |
| 母港 | 長崎[1] |
| 建造費 | 2億2,800万円[2] |
| 信号符字 | JDRI[1] |
| 経歴 | |
| 起工 | 1963年10月15日[3] |
| 進水 | 1964年1月28日[3] |
| 竣工 | 1964年3月20日[3] |
| 要目 | |
| 総トン数 | 562.98トン[1] |
| 純トン数 | 180.14トン[1] |
| 全長 | 47.36 m[1] |
| 垂線間長 | 43.00 m[1] |
| 型幅 | 8.80 m[1] |
| 型深さ | 5.00m[1] |
| 満載喫水 | 3.70m[1] |
| 主機関 | 阪神内燃機製4サイクルスーパーチャージドディーゼル機関T6YBSH 1基[3] |
| 推進器 | エッシャーウイス型可変ピッチプロペラ 3翼1軸[3] |
| 出力 | 1,200PS×305RPM[3] |
| 最大速力 | 12.70ノット[3] |
| 航海速力 | 11.00ノット[3] |
| 航続距離 | 9,000海里[3] |
| 乗組員 | 81名(職員13名、部員20名、学生48名)[3] |
長崎丸(ながさきまる)は、長崎大学水産学部が運用していた練習船。本項目では、長崎丸 (初代)の代船として、藤永田造船所で建造された2代目を取り扱う。
沿革
長崎大学水産学部附属練習船の歴史は、1952年6月の長崎丸 (初代)の誕生をもって始まる。長崎丸 (初代)は本格的な練習船ではなく、航海計器も磁器コンパスと気圧計程度であり、船内は狭く学生室は魚艙を改造したものであった。清水も僅かしか積めなかったので洗面すらほとんど出来ず、寄港地での入浴は学生の楽しみの一つであったという。さらに学生の海技免許取得にあたっても他大学の特設専攻科で乗船実習を受けなければならないという状況であり、長期航海が可能な大型練習船が待ち望まれていた[5]。
このような状況下で長崎丸(2代)が建造された。装備、機器とも当時最新鋭で国内はもとより外国との共同利用に積極的に参加することとなり、インドネシアの水産系学校との共同実習[6][7]、タイ国国家研究評議会や東南アジア漁業開発センター(SEAFDEC)との共同調査[8]などを実施してきた。さらに1965年からはユネスコ政府間海洋学委員会の公式計画として日本が中核となって計画した「黒潮およびその隣接海域の共同調査(CSK)」に参加し、1965年6月から1968年11月にかけて6回にわたる調査を行ない大きな貢献をした[9]。しかしながら1983年3月には船底に破穴を生じ浸水するなど老朽化が進み[5]、竣工から20年以上が経過した1986年に長崎丸(3代)へと交代するに至った。