関昌寺 (長野県阿南町)
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| 関昌寺 | |
|---|---|
| 所在地 | 長野県下伊那郡阿南町富草字野上原4342 |
| 位置 | 北緯35度21分14秒 東経137度47分45秒 / 北緯35.35389度 東経137.79583度座標: 北緯35度21分14秒 東経137度47分45秒 / 北緯35.35389度 東経137.79583度 |
| 山号 | 醫王山 |
| 宗派 | 曹洞宗 |
| 本尊 | 薬師如来 |
| 創建年 | 天正12年(1584年) |
| 開山 | 浮翁全瑳 |
| 開基 | 下条牛千代 |
| 正式名 | 関昌禅寺 |
| 法人番号 | 8100005010167 |
天正12年(1584年)3月、下条牛千代が、父の下条信正(法名:一無祖関居士)の菩提を弔うために、新野村の瑞光院に寄進された五貫文の土地を資とし、瑞光院の前住であった浮翁全瑳を招聘して開山し、三回忌にあたり伊那郡粟野村に建立した。
下条氏の最初の寺院である下條村に存在した開眼寺[1]から薬師如来を移して本尊としたことから、山号を醫王山とした。
また寺号は、下条信正の法名の中から「関」の字と、仏教が昌えることを期待して関昌寺とした。
江戸時代初期に、関昌寺4世の直心玄朔が、伊那郡田村村に留錫して郷氏からの要望によって臨済宗妙心寺派の東岸寺を曹洞宗に改宗して洞岩寺に改号して再興した。末寺が7箇寺あり伊那郡屈指の大寺であった。
慶安元年(1648年)、5世の古禅凛互が、門前にて徳川家光から山林竹木諸役免除の制札を受けて朱印地となり10石を与えられた。
しかし古禅凛亘が遷化後に、朱印地であるにも関わらず上納米を徴収されたことがあったが、天和3年(1683年)5月、七世の日岑欽舜の時に再度申請して朱印地となった。
本尊の薬師如来坐像は、下条氏の最初の菩提寺であった開眼寺の本尊であったと伝わり、像高53cm、木造玉眼漆箔、付属として台座・光背を備えている。制作年月日は不明である。
万治4年/寛文元年(1661年)の火災の際に損傷を受けたとされ、貞享元年(1684年)に原型を取り戻したとされている。毎年、春と秋に開帳が行われている。
伊那郡内屈指の大寺であったが、嘉永4年(1851年)、火災によって諸堂を焼失した。庫裡は再建されたものの本堂は存在しないまま今日に至っている。
山門は、円柱の四足門で、呟龍の彫刻が施されている。
門前には遠州街道が通じ、惣門から境内まで約650mあり、参道の両脇にはヒノキやスギの巨木が茂り、鬱蒼とした寺叢を形成している。
関昌寺の南側の高台には、長野県内では最大である全長15メートルの「阿南関昌観音」が聳え立っており、その周囲には石仏群がある。
文化財
末寺
- 正法寺(長野県阿南町)
阿南町東條1363にある。深見の郷士であった坂巻善左衛門は、嫡子が夭折したため、所有田畑及び家財を残らず奉納して、自らも僧となり永元と称し、天正16年(1588年)一宇を建立し、関昌寺2世の正山宗覺を勧請して開山した。吉澤伊豫の次男の宗益を相続者として後を嗣がせた。本尊は虚空蔵菩薩。法人番号: 3100005010205
- 松嶽寺(長野県阿南町)
阿南町西條小中尾400にある。慶長14年(1609年)小中尾村の民衆が建立し、関昌寺3世の法山凛應が開山した。本尊は聖観世音菩薩。法人番号: 7100005010184
- 観音寺(長野県阿南町)
阿南町南條611にある。寛文7年(1667年)平久村の民衆が建立し、関昌寺6世の福州通田が開山した。本尊は観世音菩薩。法人番号: 7100005010168
- 梅林寺(長野県阿南町)
阿南町梅田にある。本尊は釈迦牟尼佛。法人番号: 2100005010222
- 長松院(長野県阿南町)
阿南町富草1262にある。法人番号: 8100005010209