阿久刀神社
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位置
北緯34度51分19.1秒 東経135度36分11.5秒 / 北緯34.855306度 東経135.603194度座標: 北緯34度51分19.1秒 東経135度36分11.5秒 / 北緯34.855306度 東経135.603194度
主祭神
住吉大神
| 阿久刀神社 | |
|---|---|
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拝殿 | |
| 所在地 | 大阪府高槻市清福寺町23-2 |
| 位置 | 北緯34度51分19.1秒 東経135度36分11.5秒 / 北緯34.855306度 東経135.603194度座標: 北緯34度51分19.1秒 東経135度36分11.5秒 / 北緯34.855306度 東経135.603194度 |
| 主祭神 | 住吉大神 |
| 社格等 |
式内社(小) 旧村社 |
| 創建 | 不詳 |
| 例祭 | 4月15日 |
| 主な神事 | 神楽会・湯立て神事(4月第2日曜) |
| 地図 | |
鳥居
歴史
創建
創建は明らかではなく、諸説が論じられている。
『神名帳考証』では、『新撰姓氏録』にある「調連(つきのむらじ)」条[5]にある顕宗天皇に絁絹を献じた「阿久太」との関係を論じている[3]。また調連が努理使主の後裔と記すことに関して、努理使主は『古事記』に仁徳天皇皇后に蚕を献じたと見える「奴理能美」と同じとし、養蚕の技術を持つ渡来系の阿久太が当地に住み氏神として祀ったと推測している[3]。
また『新撰姓氏録』には、摂津国に神饒速日命後裔の「阿刀連(あとのむらじ)」条の記載があり[6]、社名はそれによるという説もある[2]。
なお、境内北方を流れる「芥川(あくたがわ)」の名は当社の社名に因むといわれ[2]、「阿久刀川(あくとがわ)」の転訛により「芥川」となったとされる[4][7]。
概史
平安時代中期の延長5年(927年)に編纂された『延喜式神名帳』には「摂津国島上郡 阿久刀神社」と記載され、式内社に列している。
その後の歴史は不明であるが、永禄年間(1558-1570年)に三好氏・松永氏の兵火により焼失したが[2]、文政11年(1828年)に本殿が再建された。江戸時代には「住吉大明神」と称していた。
明治5年(1872年)の神社整地の際、近隣の諏訪神社(すわじんじゃ)、大将軍社(だいしょうぐんしゃ)などが境内社として移転された[2]。また、近代社格制度では村社に列した。
境内
摂末社
いずれも境内社。
- 大将軍社
- 五社神社
- 諏訪神社
- 小島神社
- 五社神社
- 大将軍社
