陳文賓
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 |
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| 出身地 | 屏東県 |
| 生年月日 | 1973年10月5日(52歳) |
| 身長 体重 |
188 cm 100 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 捕手、一塁手、投手、外野手 |
| プロ入り | 1995年 |
| 初出場 |
CPBL / 1996年3月22日 NPB / 2003年5月2日 |
| 最終出場 |
CPBL / 2006年4月22日 NPB / 2003年5月6日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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| 国際大会 | |
| 代表チーム |
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| 五輪 | 2004年 |
この表について
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| 陳 文賓 | |
|---|---|
| 各種表記 | |
| 繁体字: | 陳 文賓 |
| 簡体字: | 陈 文宾 |
| 拼音: | Chén Wénbīn |
| 注音符号: | ㄔㄣˊㄨㄣˊㄅㄧㄣ |
| 和名表記: | ちん ぶんひん |
| 発音転記: | チェン・ウェンビン |
| 英語名: | Chen Wen-Bin |
陳 文賓(チェン・ウェンビン、1973年10月5日 - )は、台湾の屏東県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投げ右打ち。
台湾時代(1996年 - 2002年)
台湾では捕手で登録されていたがチーム事情でポジションが変わることが多く、二塁手・遊撃手以外の全ポジションでの出場経験があり、投手として先発して勝利投手となったこともある。しかし、三塁手は苦手なようで守備率は8割台に落ち込んでいる。日本では、外野手登録であった。
1995年に台湾・中華職業棒球聯盟(CPBL)の統一ライオンズに練習生として入団。翌年に正式に選手登録された。
2001年は、投手としてプレーしていたが、シーズン途中に和信ホエールズ(2002年から中信ホエールズ)に移籍した後は再び野手に転向した。
ダイエー時代
2002年オフ、日本プロ野球(NPB)の福岡ダイエーホークスへ移籍。ダイエーはこの年限りで秋山幸二が引退し、外野を守れる右の強打者を欲しがっていた。中信は交換要員に捕手を求めたが、ダイエー側の人選は難航した。当初は内之倉隆志が有力視されたが、内之倉はこの年限りで引退。その後も二転三転したが、最終的に笹川隆で決まり、陳と笹川の交換トレードが実現した。日本と台湾間でのトレードは歴史的なもので、華々しい入団会見が行われた。
春季キャンプでは豪快な当たりを連発したが、オープン戦に入ると不振に陥り、守備の不安もあって開幕は二軍スタートとなった。4月は二軍で活躍し、5月の初めに一軍昇格し、5月2日の対ロッテ戦でNPB初出場。しかし、この試合で3打数無安打に終わると、5月6日の対オリックス戦で代打で出場した試合の計2試合4打数無安打の結果で二軍に逆戻り。途中入団のフリオ・ズレータが指名打者に定着したこともありその後陳が一軍に上がる事は無く、10月にダイエーから戦力外通告を受け中信に復帰した。当時の監督である王貞治は台湾出身の陳のことを気にかけており、退団が決まった後にも「上半身の力は文句ないから、下半身の使い方を練習しろ」とアドバイスしたという。
陳と交換で中信に移った笹川は開幕当初こそ一軍にいたが、すぐに2度の登録抹消を経験。台湾では「1年間の間に2度登録抹消を経験した外国人選手はそのシーズンの残り試合への出場不可」という決まりがあったため、笹川はまだ陳が所属していた2003年6月にダイエーに復帰している。
台湾時代(2004年 - 2006年)
このとき長嶋茂雄から打撃指導を受けている。プロ入り前後に、読売ジャイアンツからオファーが来たこともあるという。
2006年のシーズン途中に引退を表明した。