隅田公園
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| 墨田区立隅田公園 Sumida Park | |
|---|---|
|
台東区側(2005年11月) | |
| 分類 | 都市公園 |
| 所在地 | |
| 座標 | 北緯35度42分43.0秒 東経139度48分13.1秒 / 北緯35.711944度 東経139.803639度座標: 北緯35度42分43.0秒 東経139度48分13.1秒 / 北緯35.711944度 東経139.803639度 |
| 面積 | 81,897.70㎡ |
| 運営者 | すみだパークマネジメントグループ(指定管理者) |
| 設備・遊具 | カフェ、眺望台、展望台、日本庭園 |
| 駐車場 | 26台 |
| アクセス |
都営地下鉄浅草線「本所吾妻橋駅」徒歩下車徒歩4分 東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)・東京メトロ銀座線・都営地下鉄浅草線「浅草駅」徒歩下車徒歩5分 |
| 事務所 | 隅田公園パークセンター |
| 公式サイト | https://sumidapark.jp/ |
隅田公園(すみだこうえん)は、東京都の隅田川沿いにある公園で、右岸の台東区浅草、花川戸、今戸(北緯35度42分55秒 東経139度48分10.5秒 / 北緯35.71528度 東経139.802917度)と左岸の墨田区向島(北緯35度42分45秒 東経139度48分15秒 / 北緯35.71250度 東経139.80417度)にまたがる。春には桜が満開になり、夏には隅田川花火大会が行われる。
この公園は、1923年に発生した関東大震災により、壊滅的な被害を受けた東京の復興事業の一環として、後藤新平の主導により浜町公園(中央区)、錦糸公園(墨田区)と並んで計画・整備された。その後、1975年4月に管理が東京都から墨田区・台東区へ移管されている。
長らく両岸の公園は直結しておらず、言問橋を介してのみ連絡していたが、1985年の桜橋開通により園路が結ばれた。また、2020年には東武鉄道隅田川橋梁に併設された歩道橋「すみだリバーウォーク」によっても結ばれることとなった。
公園内には約700本の桜があり、日本さくら名所100選に選定されていて、毎年さくらまつりが開催される。 約1キロメートルに渡る隅田川両岸の桜並木は、八代将軍徳川吉宗のはからいにより植えられた。江戸時代より花見シーズンには多くの出店が列び賑わう。
台東区では、2003年度から、区民や市民団体、企業などの協力を得て「隅田公園花の名所づくり事業」を進めている。公園にヒガンバナの植栽に続いて、平成18年度からは区の内外から「アジサイ株主」を募り、アジサイロードの整備を行った。2年間で3回の株主募集により千人以上から寄付を受けた。また山谷堀広場(北緯35度43分1秒 東経139度48分15秒 / 北緯35.71694度 東経139.80417度)には仮設劇場が設置され、平成中村座の公演が行われている。
- 台東区側(2011年4月)
- 墨田区側(2008年8月)
- 浅草流鏑馬(2010年4月20日)
- 浅草流鏑馬(2010年4月20日)
水戸徳川家ゆかりの地
水戸徳川家の下屋敷は「小梅(こうめ)邸」と呼ばれ、現在の東京都墨田区向島にその姿を見ることができた。 本邸宅は、1693年(元禄6年)のときに幕府から拝領した屋敷であり、明治維新後の一時期は明治新政府により接収されるものの、やがて水戸徳川家に下賜され、以後、水戸徳川家の本邸として役割を果たしている。 小梅邸は、1923年(大正12年)の関東大震災により焼失してしまう。水戸徳川家の屋敷として活用されていた時期には、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜が度々訪れており、このときに徳川慶喜は、水戸藩11代(最後)の藩主「徳川昭武(あきたけ)」とともに、小梅邸やその周辺の景色を、趣味としていたカメラで撮影している。今では当時の人びとの暮らしを知るための貴重な写真史料である。
昭和時代になると、小梅邸のあった場所は「隅田公園」(墨田区・台東区)の区域に取り込まれていく。その後、小梅邸の遺構を活かした日本庭園が造られ、桜の名所として知られるようになり、大勢の人びとが憩う観光の地となったのである。[1]
- 旧水戸藩小梅邸跡地の日本庭園
- ひょうたん池
- 明治天皇御製歌碑
- 隅田公園に隣接する東京ミズマチ
主なイベント
梅まつり(2月)、桜まつり(3月)、流鏑馬(4月)、アジサイロード(6月)、隅田川花火大会(7月)、灯籠流し(8月)、フリーマーケット(毎月不定期)。平成中村座。