難波宗教

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時代 鎌倉時代前期 - 中期
生誕 正治2年(1200年[1][2]
死没 弘安5年(1282年[3]
 
難波 宗教
時代 鎌倉時代前期 - 中期
生誕 正治2年(1200年[1][2]
死没 弘安5年(1282年[3]
官位 従二位刑部卿[4]
主君 後堀河天皇四条天皇後嵯峨天皇後深草天皇亀山天皇後宇多天皇
氏族 藤原北家難波家[5]
父母 父:難波宗長[5][1]
兄弟 宗教輔長、忠長[5][6]
教継教俊[5][7]
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難波 宗教(なんば むねのり)は、鎌倉時代前期から中期の公卿

蹴鞠の名人としても知られた難波宗長の子として生まれる[5][1]承久の乱後の承久3年(1221年氏爵によって叙爵[8]侍従右少将などを歴任[9][10]寛元4年(1246年後深草天皇が即位すると、殿上人整理のためその資格を除かれている[11]宝治2年(1248年鎌倉に下向していた宗教は、かねてより蹴鞠を好んでいた幕府執権北条時頼の師となり、以後たびたび蹴鞠会を開くなど鎌倉に下向した[1][12][13]。のち刑部卿となり、建長5年(1253年従三位となり公卿に列する。文永5年(1268年従二位に昇叙[14]弘安元年(1278年)出家して辞官し[15]、弘安5年(1282年)薨去[3]

官歴

系譜

脚注

参考文献

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