雲鷹丸
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| 雲鷹丸 | |
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東京海洋大学品川キャンパス(旧・東京水産大学)で保存されている本船(2017年10月、公道から撮影) | |
| 基本情報 | |
| 船種 | 二層重甲板・三檣バーク型帆船、鋼製[1] |
| 所有者 | 農商務省水産講習所 |
| 建造所 | 大阪鉄工所桜島造船所 |
| 経歴 | |
| 発注 | 1908年5月[2] |
| 進水 | 1909年2月21日[2] |
| 竣工 | 1909年5月12日[1] |
| 就航 | 1909年5月12日[1] |
| 引退 | 1929年8月[1] |
| 現況 | 展帆訓練で使用後、復元され保存中 |
| 要目 | |
| 総トン数 | 444.25総トン[2] |
| 排水量 | 277.91トン[2] |
| 全長 | 41.51m[3](136'-2"[4]) |
| 最大幅 | 8.55m[3](28'-6"[4]) |
| 喫水 | 3.7m[1] |
| 機関方式 | レシプロ式補助機関[5](汽機:三聯成(さんれいせい)、汽缶:スコッチ型2基)[1] |
| 出力 | 303馬力[2] |
| 速力 | 最大12.5ノット、巡航速力8.5ノット(汽走時巡航速力)[1] |
| 搭載人員 | 士官ベッド15床、属員ベッド26床、学生ベッド40床[1] |
| 積載能力 | 石炭100トン、鯨油タンク22トン[1] |
雲鷹丸(うんようまる)は日本の船舶であり、漁業練習船および漁業調査船として使用された、3本マストの帆船である。
1909年(明治42年)5月から1929年(昭和4年)8月まで20年間にわたり36回の航海を行うとともに、捕鯨実習をはじめ、漁業調査、学生実習、漁撈技術・漁具開発等に貢献をし、漁獲物処理では船上でのカニ缶詰製造に成功し、後の大型蟹工船の先駆けとなった[5]。 1962年(昭和37年)に東京海洋大学品川キャンパスに移設され、1998年(平成10年)12月11日に国の登録有形文化財として登録された[6][5]。
東京水産大(東京海洋大の前身)の前身である農商務省水産講習所の初代練習船・快鷹丸が韓国慶尚北道迎日湾にて難破したため、1909年に大阪鉄工所桜島造船所[7]で、2代目練習船として雲鷹丸が建造された[8]。南北の海に計36次の航海を行った米国式遠洋捕鯨船バーク型帆船で、カムチャッカ漁場開拓とカニ工船事業の開発に活躍した[8]。
1923年の関東大震災発生時、雲鷹丸は月島三号岸壁に停泊していた。舷側に漂流してくる焼船からの類焼を防ぎつつ、船上に降り注ぐ火の塊を消しながら市民500余人を救助した[2]。1926年に工船組合と、カムチャッカ東岸で蟹刺網漁業及び缶詰製造試験を行い、東カムチャッカ沖合漁場開発の端緒を開いた[2]。
1928年、白鷹丸にバトンを渡し、現役を退き廃船となった[2]。
1932年に、船内の一部を補修改装して操帆訓練船として再び活用されることとなった[2]。操帆実習は戦時中まで続けられた。
1962年に、東京水産大学七十周年記念事業の一環として、越中島から現在の品川校舎に移設され[2]、1969年から1970年にかけて、復元整備事業が行われ[2]、大学構内に復元された[8]。1998年12月11日に国の登録有形文化財に登録された[1]。