霧が丘
横浜市緑区の町
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地理
新興住宅地であり、霧が丘一丁目から六丁目に分かれている。都市再生機構霧が丘団地(霧が丘グリーンタウン)を中心とし一戸建て住宅も多い。北は十日市場町、南は旭区若葉台、西は長津田町に接し、東名高速道路を隔てて新たに開発中の長津田みなみ台も近い。東は新治町(新治市民の森)・三保町(東洋英和女学院大学等)に隣接する。環状4号線が北東から南西に通り、これに沿い飲食店やスーパー等が並ぶ。
面積
面積は以下の通りである[2]。
| 丁目 | 面積(km²) |
|---|---|
| 霧が丘一丁目 | 0.159 |
| 霧が丘二丁目 | 0.138 |
| 霧が丘三丁目 | 0.215 |
| 霧が丘四丁目 | 0.194 |
| 霧が丘五丁目 | 0.195 |
| 霧が丘六丁目 | 0.231 |
| 計 | 1.132 |
地価
住宅地の地価は、2025年(令和7年)1月1日の公示地価によれば、霧が丘二丁目18番3の地点で18万2000円/m²[6]、霧が丘四丁目14番17の地点で19万4000円/m²[7]となっている。
歴史
1966年(昭和41年)頃から、十日市場町の奥にある霧が池周辺の開発機運が地元で高まり、ゴルフ場を造成する案もあったが自然消滅した。1968年(昭和43年)に日本住宅公団による開発計画が持ち上がる。公団の当初案では、三保町50万坪、新治町30万坪、十日市場町20万坪の計画だったが、話がまとまらず十日市場町を中心とした開発に決定する。同年8月から用地買収が始まり、12月には土地区画整理事業の施行区域が決定する[8]。
計画が具体化する中、1970年(昭和45年)7月から1971年(昭和46年)4月までの約1年間、宮本常一を調査団長として縄文時代の遺跡調査が行われ、土器や土壙が発掘された[9]。
1972年(昭和47年)2月に土地区画整理事業が事業認可され、1981年(昭和56年)8月26日に霧が丘土地区画整理事業竣工式がおこなわれた[8]。
地名の由来
十日市場村の字名であった「霧ヶ谷」と、その谷戸田の溜池であった「霧が池」に由来する[10]。
沿革
町名の変遷
| 実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町名ともその一部) |
|---|---|---|
| 霧が丘一丁目 | 1981年(昭和56年)3月21日 | 十日市場町、新治町の各一部 |
| 霧が丘二丁目 | 十日市場町、長津田町の各一部 | |
| 霧が丘三丁目 | 十日市場町の一部 | |
| 霧が丘四丁目 | 十日市場町、新治町、三保町の各一部 | |
| 霧が丘五丁目 | 十日市場町の一部 | |
| 霧が丘六丁目 | 十日市場町、長津田町の各一部 |
世帯数と人口
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2024年11月時点)[19]。
| 丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|---|
| 霧が丘一丁目 | 全域 | 横浜市立霧が丘義務教育学校 | |
| 霧が丘二丁目 | 全域 | ||
| 霧が丘三丁目 | 全域 | ||
| 霧が丘四丁目 | 全域 | ||
| 霧が丘五丁目 | 全域 | ||
| 霧が丘六丁目 | 全域 | ||
事業所
交通
施設
- 横浜あすか幼稚園(湘南やまゆり学園が運営。位置的には十日市場寄り)
- 横浜マドカ幼稚園(湘南やまゆり学園が運営。位置的には若葉台寄り)
- バオバブ霧が丘保育園(横浜市立霧が丘保育園から2006年に民間委託されてできた)
- 横浜市立霧が丘義務教育学校(元横浜市立霧が丘小学校、中学校)
- 神奈川県立霧が丘高等学校
- 霧が丘公園
- 黒澤フィルムスタジオ
- ドン・キホーテ東名横浜インター店
- ビッグヨーサン十日市場店
- キグナス石油霧が丘西SS
- 福寿庵 (蕎麦屋)
- 吉野家 霧が丘店
- La Ohana 横浜霧ヶ丘店
- 牛たん焼き仙台 辺見 横浜霧が丘店
- 安楽亭 霧が丘店
- ローソン 霧が丘6丁目店、三丁目店
- 星槎中学校
- India International School in Japan Yokohama
- 横浜市霧が丘地域ケアプラザ
- 横浜市霧が丘コミュニティハウス
- 緑警察署 霧が丘交番
史跡
その他
参考文献
- “横浜市町区域要覧” (PDF). 横浜市市民局 (2016年6月). 2022年9月6日閲覧。

