青柳のはなし
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文明年間、能登の領主 畠山義統に仕える若侍・友忠は、使者として京都へ向かう途中、吹雪に遭い山中の民家に宿を求める。その家の娘の青柳は、粗末な身なりながら比類ない美しさと教養を備えており、二人は和歌を交わして心を通わせる。友忠は身分違いを承知で求婚し、青柳の両親の同意を得て彼女を連れ都へ向かうが、青柳の美貌は管領 細川政元の目に留まり、引き離されてしまう。友忠が絶望の中で送った漢詩が政元の心を打ち、二人の婚礼は許され、幸せな結婚生活を送る。しかし五年後のある日、突然に青柳は倒れ、自らが柳の化身であり、本体である柳が伐られたため死ぬ運命にあると告げ、友忠の腕の中で着物と簪を残して消えてしまった。妻を失った友忠は出家し、巡礼の末に青柳の家があったはずの丘にたどり着くが、そこには三本の柳の切り株が残るのみ。友忠は、その地に墓を建て、青柳とその両親の供養をするのだった。
原話
『青柳のはなし』の原話は、浮世草子である辻堂兆風子の怪談奇談集『多満寸太礼(玉すだれ)』(元禄17年〈1704年〉刊)巻3の『柳精霊妖』とされている[2]。(小泉八雲の印鑑が押された『玉すだれ』が、富山大学附属図書館中央図書館の「ヘルン文庫」に収蔵されている[3][4]。)
小泉八雲は、『青柳のはなし』の中段で、日本語原話には「話の途中に奇妙な断絶」があり、「構成上の欠陥」がみられると指摘する記述を挿入している。この点について、中国文学研究者の小山瞳は、原話である『柳情霊妖』が、いくつもの唐代の筆記小説や日本文学作品のモチーフが複雑に入り混じって構成されたものであると分析しており、これを見抜いて、『青柳のはなし』としてより洗練された作品に再構成した小泉八雲の見識を評価している[1]。
『青柳のはなし』の原話が『柳精霊妖』であり、さらにその『柳精霊妖』の典拠となるものとして、主に申屠澄(元代の文化人)の説話、崔郊(唐代の詩人)の故事などが挙げられる。日本では、いずれも浅井了意編の仮名草子『新語園』(天和二年〈1682〉刊)に、前者が巻6『申屠澄娶虎妻』、後者が巻2『感詩帰妾』として収録されており、これを通じて『玉すだれ』に引用されたものと考えられている[1]。
原話との違い
小泉八雲を研究する比較文学者の牧野陽子によれば[5]、原話である『柳精霊妖』では、友忠と娘が送り合う相聞歌と、細川公の心を動かす友忠の漢詩に重きが置かれ、精霊や権力者とも通じ合う詩文の力が物語の中心的要素となっている。一方で、娘には「青柳」という固有の名も与えられておらず、結末で柳の木の精霊であることが明かされるのみで、全体として柳そのものに関する言及は少ない。
これに対して『青柳のはなし』は、瑞々しい若い柳のイメージを膨らませた青柳自体の存在感が物語の前面に押し出されている。また、青柳の父母である古い柳の巨木の印象が作品全体を包み、人間と樹木の精の関係性を主軸にして、より劇的な物語に再構成されている。
小泉八雲は『青柳のはなし』に、異類婚姻譚にしばしば見られる功利主義によって人ならぬ存在との関係が破綻するという典型的構図を採用せず、物語の最後まで清らかな相互信頼を貫いている。八雲は、随筆『東洋の土を踏んだ日』において、日本の樹木の「世にも不思議な美しさ」[6]を讃え、その美の背景として、樹木にさえ魂が宿り、樹木と人々が心を通い合わせてきた日本の風土について記している。牧野は、『青柳のはなし』という作品は、八雲が日本の樹霊信仰や樹々から受けたこれらの印象を物語化したものではないかと指摘している。
