青葉山 (宮城県)
宮城県仙台市青葉区にある山
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地理
青葉山は仙台の市街地に最も近い山のひとつである。森林が山域の大半を占め、仙台城のほか、東北大学青葉山キャンパス(理学部・薬学部・工学部・農学部)、東北大学植物園、宮城教育大学、赤門鍼灸柔整専門学校、青葉山市有林遊歩道などがある。仙台城と仙台市博物館周辺は青葉山公園として整備され、市民に親しまれている。アパートや戸建住宅は青葉台地区を除きほとんど無い。また、青葉山の地下には仙台西道路(国道48号)の青葉山トンネルや仙台市地下鉄東西線が通り、青葉山駅がある。
青葉山は、西の蕃山に続き、それを介して奥羽山脈に連なる。北に伸びる尾根は東流する広瀬川に迫って断崖をなす。南では竜ノ口沢が八木山との間に深い渓谷を刻む。広瀬川は緩く湾曲して青葉山の南東で竜ノ口沢をあわせる。青葉山と広瀬川によって囲まれた段丘部を川内という。
青葉山と八木山の間の竜ノ口渓谷には2つの橋が架けられている。1つは道路橋の八木山橋、もう1つは地下鉄東西線の竜の口橋りょうである。竜の口橋りょうは鉄道・道路対応の二層構造の橋だが、上層の道路部分は使われていない[4]。
歴史
青葉山の周辺からは、奈良時代から平安時代にかけての土器や瓦などが出土している。中世には麓に多くの寺社が建立され、霊場として機能していたと思われる。
史料における青葉山の初出は正保2年(1645年)の『奥州仙台城絵図』とされる。本丸と二の丸の間部分に青葉山の文字が見られる[5][6]。やがて周辺地域一帯もこの名で呼ばれるようになった[7]。
江戸時代中期以降に成立した仙台藩の地誌『奥羽観蹟聞老志』や『残月台本荒萩』に青葉山(青葉ヶ崎)の言及がある[6]。それによれば青葉山(あおばやま)の呼称の由来は、慶長7年(1602年)に信夫郡信夫山(現在の福島県福島市)から仙台城本丸付近に移されたとされる青葉山(せいようざん)寂光寺である[7]。後に寂光寺は北山(現在の青葉区北山)に移築されたが、明治維新に廃寺となった。
青葉山の南東端は、南と東に断崖を持つ要害で、中世に虚空蔵城が、戦国時代に千代城が、1601年からは仙台城が築かれた。そのため、江戸時代に青葉山の森林は城の後背地として保全された。明治時代から第2次世界大戦まで、川内に置かれた陸軍の第2師団の演習地として用いられ、戦時中は軍の食糧自給のため一部が農場になった。
戦後はその跡に引揚者のための戦後開拓が実施された。1945年の23戸から、1965年までに55戸が入植した[8]。開拓地は東北大学の移転によってなくなった[9]。