奥羽山脈
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日本の本州最北端の県である青森県の夏泊半島付近から、ほぼ南西方向に岩手県、秋田県、宮城県、山形県、福島県と縦断し、栃木県那須岳連峰まで約500 kmにわたって連なる脊梁山脈である。日本の気候、特に東北地方の気候はこの山脈によって日本海側気候と太平洋側気候の二つに分け隔てられる。
日本列島の形成前からずっと陸地であり続けた北上山地や阿武隈高地とは異なり、奥羽山脈は比較的新しい地形である。奥羽山脈にあたる場所は日本海の拡大期(約2500万年前から約1500万年前)には海底にあり、その後も火山活動が続いていたものの、海面下にあった[3]。
陸地になったのは、約800万年前のことである。現在まで続く圧縮圧力により褶曲しながら隆起し、両側で逆断層を作って高まり、並行して活動した火山が大規模カルデラを作りつつ高度をさらに増した[4]。山脈の両側ははじめ海だったが、数百万年を経て陸化し、今あるような盆地・低地群が連なるようになった[5]。
ただし、奥羽山脈全体について明治初頭には固有名詞はなく、その後、分水界であることに注目した「分水山脈」などの固有名詞が付されていた[6]。1892年(明治25年)の学海指針社編『日本地理初歩』(集英堂)で、最も早い用例の一つとして「奥羽山脈」が用いられているが、この教科書では「羽越山脈」の語も用いている[6]。1910年(明治43年)の文部省『尋常小学地理』の教科書の刊行が「奥羽山脈」という呼称への統一と定着の始まりとなったとされる[6]。
奥羽山脈に関しては日本で最も長い山脈として取り上げられることがある一方、米地文夫のように断続性と雁行性を指摘する意見もある[6]。松本秀明は北奥羽山脈と南奥羽山脈と呼ぶべきと主張した[6]。これに対して米地は奥羽山脈は大きくは3つ、細かくは6つに分けるべきと述べている[6]。その理由として、米地は奥羽山脈には分断された地形や低い鞍部が多く、各部分が雁行し、特に奥羽山脈中部地域では並走する二本の山脈で構成されているとしている[6]。




