静岡薬学専門学校
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専門学校全体
沿革
略歴

岩﨑照吉により、旧制の私立薬学校として1916年(大正5年)4月に静岡女子薬学校が創設された。その後、静岡女子薬学校を旧制薬学専門学校に昇格させようとする機運が高まった。1945年(昭和20年)1月、財団法人静岡女子薬学専門学校の設立総会が開催された。同年3月30日には、専門学校令に基づき私立静岡女子薬学専門学校の設立が認可され[2]、修業年限3年の本科と研究科が設置されることになった。同校はさらに男子にも広く門戸を開くことを決定し、共学化により1950年(昭和25年)4月1日に静岡薬学専門学校となった。ただし、学校の設置者である財団法人静岡女子薬学専門学校は改称せず、そのままの名称であった。1950年(昭和25年)12月に財団法人から学校法人への組織変更を申請したが、1951年(昭和26年)3月に差し戻された。
その後、旧制専門学校から新制大学に移行する機運が高まり、1951年(昭和26年)9月には新制の私立大学としての静岡薬科大学の設置を申請したが、受理されず、1952年(昭和27年)1月に申請を取り下げている。また、キャンパスの近隣に静岡競輪場が開設される計画が浮上した。これを受け、1951年(昭和26年)12月から隣接地への競輪場設置反対運動が勃発した。しかし反対運動は不成功で、最終的に競輪場は設置された。
静岡薬学専門学校は財政基盤が脆弱で、教員への給与も満足に支払われていなかった。この点が問題視され、新制の私立大学としての静岡薬科大学の設置申請も認可されなかった。1953年度(昭和28年度)までに新制大学に移行できない旧制専門学校は廃校とされることが決定していた。そのため、文部省の意向を容れて静岡薬学専門学校を公立移管することで、ようやく新制大学への昇格が認められることとなった。1952年(昭和27年)8月31日に財団法人静岡女子薬学専門学校は解散し、静岡薬学専門学校は静岡県に移管され、同年9月1日に静岡県立薬学専門学校が発足した。
年表
- 1950年 - 静岡薬学専門学校設置[3][4]。
- 1952年 - 財団法人静岡女子薬学専門学校解散。
- 1952年 - 静岡県立薬学専門学校設置[3][4]。
歴代校長
| 静岡薬学専門学校 校長 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 主要な経歴 | |
| 1 | 遠藤勝 | 1950年4月 | 1952年8月 | 静岡女子薬学専門学校校長事務取扱 | |
