静神社
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| 静神社 | |
|---|---|
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拝殿 | |
| 所在地 | 茨城県那珂市静2 |
| 位置 | 北緯36度30分6秒 東経140度25分20秒 / 北緯36.50167度 東経140.42222度座標: 北緯36度30分6秒 東経140度25分20秒 / 北緯36.50167度 東経140.42222度 |
| 主祭神 | 建葉槌命 |
| 社格等 |
式内社(名神大) 常陸国二宮 旧県社 |
| 創建 | (伝)大同元年(806年) |
| 本殿の様式 | 神明造銅板葺 |
| 例祭 | 4月1日 |
| 地図 | |
祭神
歴史
創建
創建は不詳。『新編常陸国誌』では大同元年(806年)に創建されたという社伝を載せる[1]。
前述のように当地は倭文部、すなわち文様付の布を織る技術者集団の居住地と見られ、静神社はその関係社と見られている[1]。また、静神社東方には5世紀を中心とした古墳群(新宿古墳群<あらじゅくこふんぐん>)が残っており、静神社との関係性が指摘される[5]。
概史
国史では、仁和元年(885年)に「静神」の神階が従五位上に昇叙されたと見える[注 1]。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では常陸国久慈郡に「静神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。
また、鹿島神宮(一宮)や吉田神社(三宮)とともに静神社は常陸国の二宮として崇敬されたという[注 2]。このように崇敬された理由として、遅くとも奈良時代から麻布の使用が庶民に広がったが、常陸国はその特産地であり静神社がその生産に関与したためとする説がある[1]。
中世には佐竹氏が当地を領有し、佐竹貞義によって静神社境内に弘願寺・西方寺・静安寺が設けられた[1]。
江戸時代には、慶長7年(1602年)に徳川秀忠から神領150石が寄進された[4]。その後は水戸徳川家の祈願所とされ、維持管理は藩費によってなされたという[3]。寛文7年(1667年)に徳川光圀(水戸第2代)が社殿を修造し、弘願寺を含めて3寺は廃されたが、この際に銅印(重要文化財)が発見されている[1]。これにより、神仏習合から唯一宗源神道に改められた。以後も徳川氏から崇敬され、徳川綱條(水戸第3代)からは三十六歌仙が奉納され、徳川斉昭(水戸第9代)が天保12年(1841年)の火災で焼失していた社殿を再建した[1]。なお、その火災で燃えた神木の切り株は現在も境内にある。
神階
境内
摂末社
関係地
祭事
- 歳旦祭 (1月1日)
- 節分祭 (節分の日)
- 春の例祭 (4月1日)
- 御田植祭 (6月5日)
- 七五三祭 (11月15日)
- 新穀感謝祭 (11月23日)
- 織物祭 (11月25日)
- 秋の大祭 (11月25日-27日)
- 宵祭 (11月25日)
- 本祭 (11月26日、27日) - 27日には特殊神事の蔦舞・お笹明神出御が行われる。
なお、古くは旧暦4月9日に「磯降り神事」として海岸まで神幸が行なわれていた[1]。
文化財
重要文化財(国指定)
- 銅印(附 印笥)(考古資料)
茨城県指定文化財
那珂市指定文化財
- 有形文化財
