韋辞

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韋 辞(い じ、773年 - 830年)は、唐代官僚は践之[1]本貫京兆府万年県

侍御史の韋翃の子として生まれた。洛陽県丞の韋召卿の孫にあたる。若くして両経に及第して、試験で優秀な成績を収め、秘書省校書郎に任じられた。貞元末年、東都留守の韋夏卿に召し出されて従事をつとめた。のちに節度使の補佐役を歴任した。元和9年(814年)、藍田県令から入朝して、侍御史に任じられた。事件に連座して朗州刺史として出され、さらに江州司馬に左遷された[2]

長慶元年(821年)、韋辞は韋処厚路随らにより文学と統治の成績により推薦された。戸部員外郎に抜擢され、刑部郎中に転じ、京北京西和糴使をつとめた。ほどなく戸部郎中となり、御史中丞を兼ね、塩鉄副使をつとめ、吏部郎中に転じた。宝暦3年(827年)、文宗が即位して、韋処厚が宰相となると、韋辞は李翺とともに中書舎人に任じられた[3]

大和3年(829年)、韋辞は潭州刺史・御史中丞・湖南観察使として出向した[4]。大和4年(830年)、死去した。享年は58。右散騎常侍の位を追贈された[3]

脚注

伝記資料

参考文献

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