須成祭
愛知県海部郡蟹江町で開催される祭礼
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概要
疫病退散を祈願する天王信仰(牛頭天王の信仰)の祭礼であり、須成天王祭(すなりてんのうまつり)とも呼ばれる。
歴史
冨吉建速神社(とみよしたてはやじんじゃ)はかつて牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と呼ばれていた[1]。祭りの起源は定かではないが[2]、天文17年(1548年)に織田信長が牛頭天王社の社殿を修復した際には、祭礼を今後も継続するように命じており、この時にはすでに行われていた[1]。天正12年(1584年)には、羽柴秀吉陣営と織田信雄・徳川家康陣営が戦った蟹江城合戦によって牛頭天王社の社殿が焼失したが、須成祭は何らかの形で続けられたとされる[1]。文禄年間(1592年 - 1595年)にはこの地域で疫病が流行したが、豊臣秀吉は後世に至っても祭礼をなおざりにしないよう命じている[1]。
江戸時代には尾張徳川公が須成祭に対して50石を給与している[1]。寛文年間(1661年 - 1673年)に編纂された『寛文村々覚書』でも言及されている[2]。弘化3年(1846年)に完成した『尾張志』にも牛頭天王社の祭礼として登場する[1]。このため、須成祭を厳密にいえば「冨吉建速神社・八剱社両社の祭礼」ではなく「冨吉建速神社の祭礼」である[1]。
特徴
疫病退散を祈願する天王信仰に由来する祭りである。7月初旬から10月下旬まで約100日間に渡って行事が続くことから、「百日祭り」という別名を持つ[2]。
「神葭の神事」(みよしのしんじ)と「車楽船の川祭」(だんじりぶねのかわまつり)の2部で構成されている[1]。蟹江川の河岸に茂るヨシを刈って神体として冨吉建速神社に祀り、災厄をヨシに託して蟹江川に流す[2]。このヨシは7日間にわたって蟹江川に浮かべられ、その後70日間は冨吉建速神社の神棚に祀った後、燃やすことで神葭の神事は終了する[2]。100日間に及ぶこの神事で住民の疫病退散を祈願する[2]。
なお、須成祭同様に神葭の神事を行う祭礼としては、津島神社(津島市)の尾張津島天王祭、熱田神宮摂社南新宮社(名古屋市熱田区)の南新宮社祭、津島社(長野県松本市堀込)の裸祭りなどもある[1]。須成祭同様に川祭りの神事を行う祭礼としては、津島神社の津島祭、川上神社(清須市)の清洲天王祭、浅間社(名古屋市中川区)の下之一色川祭、津島社(長野県下伊那郡阿南町)の深見の祇園祭などもある[1]。


