Wikiwand AI

須走村

From Wikipedia, the free encyclopedia

廃止日 1956年9月30日
廃止理由 編入合併
須走村 → 小山町
現在の自治体 小山町
国 日本の旗 日本
すばしりむら
須走村
廃止日 1956年9月30日
廃止理由 編入合併
須走村 → 小山町
現在の自治体 小山町
廃止時点のデータ
国 日本の旗 日本
地方 中部地方、東海地方
都道府県 静岡県
郡 駿東郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 42.54 km2
(境界未定部分あり)
総人口 5,067人
(国勢調査、1955年)
隣接自治体 静岡県
小山町、御殿場市、富士宮市[注釈 1]、富士郡北山村
山梨県
富士吉田市、南都留郡中野村、鳴沢村[注釈 2]
須走村役場
所在地 静岡県駿東郡須走村
座標 北緯35度21分39秒 東経138度52分02秒 / 北緯35.36094度 東経138.86719度 / 35.36094; 138.86719座標: 北緯35度21分39秒 東経138度52分02秒 / 北緯35.36094度 東経138.86719度 / 35.36094; 138.86719

駿東地域の町村制施行時の町村。23が須走村で橙色が小山町に相当。
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

須走村(すばしりむら)は、静岡県の北東、富士山の東斜面にあった駿東郡の村。1956年に小山町と合併した。

標高800 mほどの高原に位置する[1]。西に富士山があり山頂までが村域となっていて、東に高根柴怒田村の飛び地である柴怒田村(しばんたむら)・水土野新田(みどのしんでん)と面し、北は静岡県と山梨県の県境のある控える高原地帯が占める[1]。古くから富士の登山口である須走口があり、また甲州へ向かう旧鎌倉街道である籠坂峠越の麓集落として発達した[1]。

歴史

「妙法寺記」の1500年(明応九年)6月条に「富士導者参事無限。関東乱ニヨリ須走へ皆導者付也」とあり、長享の乱により富士吉田口から登るべきはずの登山者が皆須走へ回ってしまい、登山者が集中してしまったことが記されている[1][2]。以後も同書には須走に関する記事が続き、1509年(永正6年)12月16日には「又極月十六日須走蓮長寺日壽御死去」とあり、「須走蓮長寺」(法華宗、現廃寺)の日寿が没したことが見える[1][3]。1526年(大永6年)7月31日には籠坂峠の麓、梨木平で甲斐の武田軍と今川・北条連合軍との合戦があり、「須走殿」ほか駿東の有力武将が何人も討死している[1][3]。

さらに1537年(天文6年)には「武田殿モ須走口ヘ御馬ヲ出シ」とあるように武田氏が籠坂峠を越えて「須走口」へ出陣し、翌7年10月に今度は北条方の須走殿と垪和殿が上吉田(現山梨県富士吉田市)へ夜討をかけ、宿中の者を殺害している[1][3]。1563年(永禄6年)3月19日の葛山氏元朱印状(芹沢文書)に「須走口過書」とみえ、須走口関所を管理する芹沢伊賀守は、葛山氏元から徴収した関銭の半分の六〇貫文の納入と荷駄の通過について指示されている[1]。

1707年(宝永4年)の12月16日には、宝永噴火が発生し、初日に降ってきた高温の軽石によって火事が起こり、集落の76件の建物のうち37軒が焼失した[4]。残った建物も、後の3メートルを越す堆積物で倒壊した[4]。

年表

交通

脚注

関連項目

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks