養寿寺 (豊田市)
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古代
天平8年(736年)に行基が花園郷を訪れ、観音像を彫ってこの地に残したという伝承がある[1]。また、平安時代末期には平景清が泊まったとする伝承がある[2]。
栄日坊は観音堂を再興して天台宗の万寿寺とし、地元ではそのまま観音堂と呼ばれていた[2]。なお、伝承によると栄日坊は景清が出家した際の名前である[1]。この観音堂が養寿寺の前身である[2]。江戸生まれの中根七三郎長持が栄日坊の後を継いだ[2]。
中世
応仁年間(1467年~1469年)に蓮如上人が三河国で真宗の布教を行うと、観音堂の住僧は蓮如に帰依して真宗本願寺派に改宗した[2]。天文年間(1532年~1554年)には真定坊と公称するようになり、さらに養寿寺となった[2]。
近世
寛政9年(1797年)には片山吉左エ門を棟梁として本堂が建立された[2]。7世慶芳は豪商の寺田伝兵衛らと交友があり、安政3年(1856年)12月22日には権律師の称号を賜った[1]。寺田伝兵衛家は米穀・肥料・酒造などの事業で成功した家であり、東本願寺の有力な門徒でもあった[3]。