馬永魁 From Wikipedia, the free encyclopedia 出生: 1874年[1][旧暦]同治13年[2]10月[3]死去: 没年不明(1944年1月1日時点では存命)出身地: 清山西省大同府大同県[1][2]職業: 銀行家・実業家・官僚馬永魁 プロフィール出生: 1874年[1][旧暦]同治13年[2]10月[3]死去: 没年不明(1944年1月1日時点では存命)出身地: 清山西省大同府大同県[1][2]職業: 銀行家・実業家・官僚各種表記繁体字: 馬永魁簡体字: 马永魁拼音: Mǎ Yǒngkuíラテン字: Ma Yung-kuei和名表記: ば えいかい発音転記: マー・ユンクエイ(マー・ヨンクイ)テンプレートを表示 馬 永魁(ば えいかい、1874年〈同治13年10月〉 - 没年不明)は、中華民国・蒙古聯合自治政府(蒙古自治邦)の銀行家、実業家、官僚。 晋北での活動 私塾で7年間の修学歴があるという[3]。1923年(民国12年)、徳興永銀号で経理となる[1][3]。その後、大同商務会常務委員となり、大同における財界重鎮と目されることになる[1][2][3]。 1937年(民国26年)9月19日、日本軍侵攻により大同治安維持会が成立すると、馬永魁は同会委員長に選出された[1][2][3][4]。同月30日には晋北治安維持会(委員長:夏恭)で副委員長[1][2][3]となり、10月15日には維持会を改組した晋北自治政府で政府委員[1][2][3][注 1]や官房第二科科長[3]となっている。11月22日、蒙古聯盟・察南・晋北の3自治政府の調整機関である蒙疆聯合委員会が設立されると、晋北代表の馬は総務・産業・金融担当の委員となった[5]。 翌1938年になると、馬永魁はいったん官を辞し、蒙疆銀行で監事[6]や大同分行理事[1][3]をつとめている。しかし、同年8月1日の蒙疆聯合委員会改組に伴い、馬は呼び戻されて同委員会財政部長に選任された[1][2][7]。 蒙古聯合自治政府での活動 1939年9月1日、3自治政府が合併して張家口に蒙古聯合自治政府が成立すると、馬永魁は財政部長に任命された[1][2][3][8]。蒙古聯合自治政府での馬は、夏恭(副主席)や田汝弼(晋北政庁長官)と共に「晋北派」の一員と目されるようになる。 1941年6月1日、蒙古聯合自治政府の機構改組により産業部と財政部が合併し、経済部に改組される。経済部長については、前・財政部長の馬永魁が任命された[2][3][9][注 2]。1943年5月1日、蒙古自治邦(政府)[注 3]首脳部における大規模人事異動に際して、馬は政界から引退した(後任の経済部長は田汝弼)[2][注 4]。翌1944年1月1日、蒙古自治邦の政府機構改革がなされた際に、馬は蒙古自治邦参議に任命されている[10]。 参議就任後における馬永魁の動向・行方は不詳である。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ↑ 『東京朝日新聞』の報道(「晋北十三県民結束 自治政府成立す 反閻運動の烽火揚ぐ」昭和12年(1937年)10月16日、2面)では、夏恭と馬永魁(晋北治安維持会副委員長)の2名で最高委員就任との記述がある。しかし、晋北自治政府組織法第2条条文では最高委員1名と規定されていることから、誤りと見られる。 ↑ 前・産業部長で「察南派」の杜運宇は、司法委員会長官へと転じた(ドムチョクドンロプ著, 森訳(1994)、278頁)。杜はこれを左遷と見なし、政務院長・呉鶴齢(ウネンバヤン)への反感を強めたという(同303-305頁)。 ↑ 蒙古聯合自治政府を1941年8月4日に改称したもの。 ↑ 李守信の回顧録によると、「馬永魁が病没したため」、田汝弼が経済部長を後継したものとしている(李(1985)、187頁)。しかし、デムチュクドンロブ(徳王、ドムチョクドンロプ)の回顧録や『蒙疆新聞』1943年5月5日報道からして、これは誤りと思われる。なお、李守信は夏恭の死亡時期についても誤った回顧をしている。当人記事を参照。 出典 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 東亜問題調査会編(1941)、172頁。 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 「経済界の功労者 勇退した馬永魁氏」『蒙疆新聞』1943年5月5日、1面。 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 満蒙資料協会編(1942)、747頁。 ↑ 「大同治安維持会成立」『同盟旬報』1巻9号通号9号、昭和12年9月中旬号、同盟通信社、31頁。 ↑ 「蒙疆聯合委員会成立」『同盟旬報』1巻16号通号16号、昭和12年11月下旬号、同盟通信社、7-8頁。 ↑ 蒙銀会(1978)、304頁。 ↑ 『国際パンフレット通信』1133号、タイムス出版社、210頁。 ↑ 「新政府人事」『同盟旬報』3巻25号通号80号、昭和14年9月上旬号(20日発行)、同盟通信社、9頁。 ↑ 『同盟時事年鑑 昭和18年版』、同盟通信社、545-546頁。 ↑ ドムチョクドンロプ著, 森訳(1994)、279頁。 参考文献 東亜問題調査会編『最新支那要人伝』朝日新聞社、1941年。 満蒙資料協会編『中国紳士録 第二版』満蒙資料協会、1942年。 『蒙銀春秋 雲烟万里の回想』蒙銀会、1978年。 ドムチョクドンロプ著, 森久男訳『徳王自伝 モンゴル再興の夢と挫折』岩波書店、1994年。ISBN 4-00-001514-1。 「李守信自述」中国人民政治協商会議内蒙古自治区委員会文史資料研究委员会編『内蒙古文史資料』第20輯、1985年。 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。 Related Articles