馬込川
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歴史
元々は天竜川の本流であり、遠州平野(浜松平野)の西側と東側に分かれて遠州灘に流れていた。その名残として現在、静岡県立浜名高等学校の西側に「天宝堤」が史跡として残されている。その当時は、麁玉河(あらたまがわ)と呼ばれていた。
なお、天宝堤は天平宝字5年(761年)に洪水により決壊し修復されたと記録されている。
川の堆積作用と地形の関係で東側が主流となった。その頃の西側の河道は小天竜川と呼ばれていた。
しかし、西側の河道は洪水の原因になっていて遠州平野に被害をもたらしていたので1675年(延宝3年)に天竜川本流から締め切られたと推測されている。記録に残っている「彦助堤」は西側の河道を完全に締め切る事が目的であった。
天竜川から独立した後、馬込川の水量は減少した。その為、河口部に砂が堆積して海への排水が悪化した。結果、大雨が降った時に雨水を処理できなくなり洪水被害の原因になった。特に、JR浜松駅の南側に被害が集中して発生している。その対策として天竜川から用水路(浜名用水)を引き、水量を調節して河口部に砂が堆積しない様にしている。そして現在の姿に至っている。

