高井宣風
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寛保3年(1743年)2月[2]、信濃国高井郡小布施村で六斎市の市元であった久保田家に生まれた[3](常磐井氏とも[1])。通称は伊十郎。若くして京都に出て国学や和歌を学び、さらに江戸に移って麹町三軒家に居を構えた[4]。最初は道具屋として生計を立てたが、やがて私塾を開き和歌を教えた[1]。故郷の地名にちなんで、高井と改姓した。雅号として春雨亭、春和亭、和光亭などを用いた[2]。
歌人として日野資枝[2]や萩原宗固[5]に学び、また国学は本居宣長の学統を修めた。
同時代の国学者加藤千蔭[6]や村田春海[1]とは交流があったとされるが、特に千蔭との議論は激しかったようで、宣風の著書に対して「弟子を多く集めるための書」「黄表紙のよう」と辛辣に批判した千蔭の文書が残されている[7]。
日野資矩や外山光実といった公家、武蔵忍藩8代藩主阿部正由など武家からの後援を受けた[1]。門人には美濃苗木藩11代藩主遠山友寿[8]、国学者関岡野洲良、一橋家目付畠山常操[9]などがいる。