関岡野洲良

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関岡 野洲良(せきおか やすら、1772年 - 1832年12月16日)は江戸時代後期の国学者。和歌と地理学を専門とし[1]、『廻国雑記標註』などを著した。名は安良[2]、または八洲良とも書く。

没年齢から、明和9年/安永元年(1772年)の生まれと考えられる[2]武蔵国八王子宿八幡町素封家、梅原家[3](姓は榛原[1]とも伝わる)に生まれた。江戸に出て関岡氏を継いだ[3]。通称は長右衛門関亭および花月斎を号として用いた[2]

本業は能装束師で、日本橋富沢町に住んでいた。高井宣風に和歌を学ぶ[4]とともに、地理学にも精通していた[1]小山田与清などと親交があったという[5]

文政12年に起きた文政の大火で、自著『名所千種露』全10巻と『名所千種露別記』100巻あまりを焼失したことで執筆意欲を失い、筆を措いたという[2]。天保3年11月25日[注釈 1]グレゴリオ暦1832年12月16日)、数え61で死去。駒込大円寺月岑庵に埋葬された。法号は慶樹芳山居士[7]

著書

脚注

参考文献

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