高島照治
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開拓農家として
大正13年(1924年)、群馬県吾妻郡草津町に生まれる[1][2][3]。長野県立小諸商業学校(現・長野県小諸商業高等学校)を卒業[1][2][3]。
太平洋戦争終結後復員すると、1946年(昭和21年)に嬬恋村(群馬県吾妻郡)に入植し[5][1][4][2][3]、仙之入開拓農協(全国開拓農業協同組合連合会参照)を設立して組合長に就任した[1][2][3]。
群馬県の畜産に関する様々な団体の要職を歴任したほか、1984年(昭和59年)からは日本ホルスタイン登録協会の会長を務め、牛の個体識別システムの導入に携わった[5][3]。また、国と県のパイロット事業として1400ヘクタールの農地造成に功績があり[1]、1979年(昭和54年)には酪農への貢献により黄綬褒章を受章した[5]。
政治家として
1955年(昭和30年)に嬬恋村の村議会議員に当選、1期在職[2][3]。1959年(昭和34年)に群馬県議会議員選挙に立候補するも落選[2]。1963年(昭和38年)からは8期連続で群馬県議会議員を務め、県議会副議長(任期:1976-1977年[6])、議長(任期:1983-1984年[6])、自由民主党群馬県支部連合会幹事長などを歴任した[1][3]。
この間、国道145号の全面舗装化を実現させた[1]。嬬恋村と長野原町には独立した高校がなく、群馬県立中之条高等学校の分校があるのみだったのを、1968年(昭和43年)に群馬県立嬬恋高等学校・群馬県立長野原高等学校として独立させるのに貢献した[1]。
このほか八ッ場ダム問題、下水道の集中処理施設設置問題[注 1]、県議会の定数削減問題などにあたった[1]。一連の行政への功績が認められ、1985年(昭和60年)に藍綬褒章、1996年(平成8年)に勲三等旭日章を受章した[5]。
年表
- 1946年(昭和21年) - 群馬県吾妻郡嬬恋村に入植[5][4]
- 1955年(昭和30年) - 嬬恋村村議会議員に初当選[1]
- 1963年(昭和38年) - 群馬県議会議員に初当選[5]
- 1970年(昭和45年) - 日本ホルスタイン登録協会理事に就任[5]
- 1973年(昭和48年) - 日本ホルスタイン登録協会監事に就任[5]
- 1976年(昭和51年) - 日本ホルスタイン登録協会副会長に就任[5]。群馬県議会副議長に就任[6]
- 1980年(昭和55年) - 自由民主党群馬県支部連合会幹事長に就任[4]
- 1983年(昭和58年) - 群馬県議会議長に就任[6]
- 1984年(昭和59年) - 日本ホルスタイン登録協会第8代会長に就任[5]
- 1996年(平成8年) - アジアで初めて世界ホルスタインフリージアン会議を開催する[4]
- 2004年(平成16年) - 日本ホルスタイン登録協会会長を辞任[5]
- 2006年(平成18年) - 虚血性心不全のため群馬県前橋市内の病院にて死去。享年82。[4]
