高津仲次郎
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| 高津 仲次郎 | |
|---|---|
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高津仲次郎(還暦時) | |
| 行政上の氏名 | {{{行政上の氏名}}} |
| 生年月日 | 1857年11月24日〈安政4年10月8日〉 |
| 出生地 |
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| 没年月日 | 1928年12月19日(71歳没) |
| 所属政党 | 上毛倶楽部、上毛政社、上毛民会、立憲政友会[1] |
| 称号 | 従六位 |
衆議院議員 | |
| 当選回数 | 4回 |
群馬県会議員 | |
| 当選回数 | 7回 |
高津 仲次郎(たかつ なかじろう、1857年11月24日(安政4年10月8日[2][3][4]) - 1928年(昭和3年)12月19日[5][6][4])は、明治から昭和時代初期の政治家、実業家。衆議院議員(4期)、群馬県会議員(7期)、従六位[4]。
上野国緑野郡中島村[7](群馬県緑野郡小野村[2]、多野郡小野村を経て現藤岡市)の高津類蔵(のち安蔵に改名)の次男として生まれる[3]。母くめ、兄佐市は仲次郎の幼少時に死去した[3]。生家は養蚕業を生業とした[2][8]。幼くして渋川の藍園義塾に入り、漢学を修めたのち、1882年(明治15年)上京し専修学校に入り、法学および経済学を学んだ[2]。さらに1883年(明治16年)埼玉県の発陽学舎に入り英学を修めた[2]。1885年(明治18年)再び上京し旧制東京専門学校に入り英学および政治学を学んだ[2]。
1884年(明治17年)群馬県会議員に当選[2][9][4]。翌年、同常置委員に挙げられた[2]。政府の養蚕業への干渉を憂い、1887年(明治20年)同志を募り上毛倶楽部を組織し、各地で政談演説を開いた[10][11]。1888年(明治21年)上京の折保安条例により退去を命じられる[12]。同年上毛倶楽部は上毛政社と改称[10]。さらに上毛民会を組織し、県下の養蚕業者を率いた[10]。ほか、電気事業にも関与し、群馬電力および烏川電力を創立し同取締役を務め、東京電力、渡良瀬水電各取締役、上毛電気鉄道監査役などを歴任した[5]。
1886年(明治19年)に前橋英学校を設立。同校は経営難で一度閉校したのち前橋英和女学校として再建され、現在の共愛学園へと至る[13]。
また、廃娼運動では竹越與三郎らと群馬県下各地で廃娼演説会を行い、積極的に運動を進めた[7]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では群馬県第3区から出馬し当選[5][14]。その後、第5回、第11回(補欠選挙)、第16回総選挙でも当選し、衆議院議員に通算4期在任した[5]。
大浦事件で1916年に一審二審ともに、懲役2か月執行猶予3年追徴金2500円の判決を受けた[15][16]。これにより大礼記念章を褫奪された[17]。
著作
- 編『中島水害誌』高津仲次郎、1911年。
- 丑木幸男編『高津仲次郎日記 1』群馬県文化事業振興会、1998年。
- 丑木幸男編『高津仲次郎日記 2』群馬県文化事業振興会、1999年。
- 丑木幸男編『高津仲次郎日記 3』群馬県文化事業振興会、2000年。
伝記
- 丑木幸男『評伝高津仲次郎』群馬県文化事業振興会、2002年。