高橋太郎 (言語学者)
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業績
人物
大学時代は矢田部達郎に師事したが、矢田部からは入学早々に「君は入るところを間違えた。学問は対象に規定されるのだから、心理学よりも言語学や国語学の講義を聴いて、きちんと勉強しなさい」と言われた[4]。
いわゆる熱血漢で、毎週開かれる研究部会議の席上で机を叩きながら激しい口調で鋭い質問や提言をしたり、学会でも発表者に鋭い質問を浴びせたりしたが、多くは本質に関係することであり、研究内容の実証性を問うものであった[5]。
「研究は全て研究室で行うもので、家は食事をし、寝るところである」と考えており、朝早くから夜遅くまで研究所に滞在して仕事を進めた[6]。学問に対する姿勢は実例主義を貫いており、研究室には小説などの文庫本をコピーしたカードを大量に保管するなど、来る日も来る日もデータと向かい合っていた[7]。議論するときは、単なる観念論のようなものではなく、「そういう例は島崎藤村の『破戒』に出てくる」といった調子で、様々な多くの具体例を取り上げていた[8]。
「弟子が師匠の技を盗むのは当然のことだが、師匠が弟子の研究を自分のものとすることは許されない」と考えていた[8]。自身の古稀記念論集に寄せた論考には、自分の孫にあたるような教え子たちの論文を幾つも引用している[8]。