高田純 (脚本家)
From Wikipedia, the free encyclopedia
長崎県西彼杵郡出身[1]。慶應義塾大学文学部卒[1][2]。
父親は広島市で爆心地から2キロで被爆しており[3]、被爆2世として出生。本人曰く、親の一族は大半が教師という「教員一族」[1]。
大学入学後に任侠映画を多く見まくっていたということで、その後も「任侠映画を語らせたら日本で五本の指に入る」ほどの自信があるとも語っている[1]。大学在学中には落語研究会に所属[1]、その後同会の先輩でもある松原敏春に弟子入りし[1]、『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』(日本テレビ)などのコント番組のギャグなどを手掛ける[1]。卒業後はスポーツニッポン、週刊プレイボーイ、週刊朝日などで、東映実録路線、日活ロマンポルノ等を中心に映画批評を担当、若手映画評論家として注目を浴びる[1]。
その映画論評が当時の日活のプロデューサー・伊地智啓の目に留まったことで誘われ[1][2]、1973年に『必殺色仕掛け』(日活)で脚本家デビュー[1][2]。その後はシナリオライターに転じ、劇場作品やサスペンスドラマを中心に活動した。趣味はロールプレイングゲームであり、特に『ドラゴンクエスト』シリーズの大ファンだったという。