魏続
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 姓名 | 魏続 |
|---|---|
| 時代 | 後漢時代 |
| 生没年 | 〔不詳〕 |
| 字・別号 | 〔不詳〕 |
| 出身地 | 〔不詳〕 |
| 職官 | 〔不詳〕 |
| 爵位・号等 | - |
| 陣営・所属等 | 呂布→曹操 |
| 家族・一族 | 〔不詳〕 |
呂布配下。呂布の縁戚関係にあったことから重用された[2]。呂布が高順を疎んじるようになると、呂布は高順の兵を魏続に率いさせ、魏続の兵を高順に率いさせている。
建安3年(198年)12月、呂布が曹操の猛攻に遭って下邳城に追いつめられると、同僚の宋憲・侯成らと共謀して陳宮を捕縛し[3]、曹操に寝返った。これが契機となって下邳は落城し、呂布軍は滅亡した。
呂布滅亡後、史書に魏続の名は見当たらない。『後漢書』呂布伝に勇将ないしは猛将を意味する「健将」とされた魏越がいるが、魏続との関係は不明。