鳥浜町
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| 鳥浜町 | |
|---|---|
| 町丁 | |
北緯35度23分07秒 東経139度38分40秒 / 北緯35.385389度 東経139.644308度 | |
| 国 |
|
| 都道府県 |
|
| 市町村 |
|
| 行政区 | 金沢区 |
| 人口情報(2025年(令和7年)6月30日現在[1]) | |
| 人口 | 32 人 |
| 世帯数 | 28 世帯 |
| 面積([2]) | |
| 1.264 km² | |
| 人口密度 | 25.32 人/km² |
| 設置日 | 1971年(昭和46年)4月23日 |
| 郵便番号 | 236-0002[3] |
| 市外局番 | 045(横浜MA)[4] |
| ナンバープレート | 横浜 |
鳥浜町(とりはまちょう[2])は、神奈川県横浜市金沢区の町名。丁番を持たない単独町名である。住居表示未実施[5]。面積は1.264km²[2]。
歴史
埋立計画段階では隣接する金沢区昭和町および富岡東の埋立部と合わせて根岸湾第2期ハ地区と呼ばれ、1961年から1966年にかけての第一次港湾整備5カ年計画および1961年4月に運輸省より承認を受けた横浜港改定港湾計画によると、面積1,426,000m2、工期は1963年4月-1968年3月、事業費は80億円であった。1965年に、完工時期を1970年3月、事業費91億円に変更された。埋立には根岸湾の浚渫土砂のほか富岡の在日米軍富岡倉庫地区として接収されていた土地の土砂の使用が考えられていたが、接収解除後に自衛隊駐屯地として利用することを検討していた防衛庁(当時)との間で交渉が難航した。そのため、称名寺裏の丘の西武鉄道不動産部開発地からプッシャーバージで輸送された土砂が使われている。土砂採取地跡は金沢区西柴の地名が付き、西武グループにより宅地化された。埋立地は、当初は大型車両工場や精密機械工場を誘致するための交渉が進められていたが、1963年に飛鳥田一雄が横浜市長に就任し、従来の市街地からの工場移転の促進を図るため、中小企業団地を設けるよう方針転換がなされた。しかし、分譲地の1軒あたりの面積に制約があったことや、移転跡地を市に優先的に売却する条項がなかったことから、旧市街地の再生には目立った効果が上がらなかった。
1966年8月31日、日本原子力船開発事業団より原子力船の定係港としたい旨の申し入れがあったが、翌年7月に横浜市はこれを正式に拒否した。1971年4月23日、金沢区に埋立編入[5]。1973年には横浜市中央卸売市場南部市場(現・横浜南部市場)が開場。1987年に、南側に広がる金沢木材港の一部を埋め立ててマリーナを建設する計画が決定[6]。1993年から1995年に掛けて埋立が行われ、1995年7月10日に金沢区白帆として埋立編入された。2009年には東京入国管理局横浜支局(現 : 東京出入国在留管理局横浜支局)が中区山下町から鳥浜町へ移転した。
地名の由来
町名は、この近くの鳥見塚に多くの鳥が飛来したことから付けられた[7]。
世帯数と人口
2025年(令和7年)2月28日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
| 町丁 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 鳥浜町 | 28世帯 | 32人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[8] | 100 |
| 2000年(平成12年)[9] | 51 |
| 2005年(平成17年)[10] | 43 |
| 2010年(平成22年)[11] | 154 |
| 2015年(平成27年)[12] | 0(秘匿扱い) |
| 2020年(令和2年)[13] | 28 |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
| 年 | 世帯数 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[8] | 73 |
| 2000年(平成12年)[9] | 40 |
| 2005年(平成17年)[10] | 33 |
| 2010年(平成22年)[11] | 91 |
| 2015年(平成27年)[12] | 0(秘匿扱い) |
| 2020年(令和2年)[13] | 24 |
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2024年11月時点)[14]。
| 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|
| 全域 | 横浜市立並木第一小学校 | 横浜市立富岡東中学校 |
