鳥部山物語
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『鳥部山物語』(とりべやまものがたり)は、室町時代に成立した日本の物語。御伽草子および稚児物語(男色物)の一つに数えられる。一巻。作者は不詳。
武蔵国の僧の弟子である民部卿と、都の中納言の子である藤の弁との間の同性愛的な悲恋を描いた物語である。 題名は、物語の結末において主人公が切腹を図る場所が鳥部山の墓所であることに由来する[1]。
室町時代に流行した稚児物語の代表作の一つであり、先行する『秋の夜の長物語』と構想や主題において共通する部分が多い。また、文章表現において『太平記』や『源氏物語』からの直接的な引用が見られる点や、他の稚児物語と比較して無常観が強く打ち出されている点が特徴である[2]。
「とにかくに常ならぬ物は此世なりけり(とにかく無常なのがこの世である)」という書き出しで物語は始まる[1]。
武蔵国の高徳な聖人に仕える、16歳頃の才色兼備の弟子・民部卿は、師に伴われて上洛する。春、北山の花見に出かけた際、民部卿はこの世のものとは思えない美しい少年を見初める。その少年は、四条坊門に住む中納言の一人息子・藤の弁であった。
民部卿は恋の病に伏すが、従者らの仲介によって文を交わし、中納言の家に入り込む機会を得て、二人は深く契りを結ぶ仲となる。しかし夏になり、師の帰国に伴って民部卿も武蔵国へ戻らねばならなくなる。二人は泣く泣く別れを告げた。
都に残された藤の弁は、民部卿を恋い慕うあまり悲嘆に暮れて病床に伏す。乳母によって病の原因を知った藤の弁の両親は、民部卿を迎えにやるため、乳母を使者として武蔵国へと派遣する。民部卿は乳母を伴って急ぎ都へ向かうが、その道中、近江国の土山にて藤の弁が既に死去したという報せの手紙を受け取る[1]。
悲嘆に暮れた民部卿は、都で呆然とする両親と対面し、通された部屋で主を失った遺品を目にする。そこで藤の弁が扇に書き残した「日影まつ露の命はおしからで逢はで消えなんことの悲しき」という遺詠を見つけ、民部卿は自害を決意する。藤の弁の初七日の日、民部卿は鳥部山の墓前で守り刀により命を絶とうとするが、周囲の人々に制止される。
その後、民部卿は北山に柴の庵を結び、藤の弁の菩提を弔う日々を送る。ある時、民部卿は「あらぬ道に迷ふも嬉し迷はずばいかでさやけき月をみましや」と、かつての迷いがあったからこそ得られた心境を詠じるが、いつしか行方がわからなくなった[3]。
成立・作者
特色・評価
文体と構成
本作は擬古的な作風を持つ稚児物語である。物語の構成は先行作品である『秋の夜の長物語』と類似しており、東国の僧と京の稚児の悲恋、死別、出家という展開を辿る。
文章は優麗な雅文で綴られており、劇的な場面描写が豊富である点に特色がある。以下の古典作品からの転用や影響が指摘されている[2]。
また、主題としては同性間の純愛を基調としつつ、仏教的な教訓(因果応報や無常観)が濃厚に含まれている。しかし、説教臭さは抑えられており、あくまで「迷いを縁として悟りに入る」という中世小説の類型的な構造の中に美学を留めている点が評価されている[1]。
翻案
寛文年間頃の仮名草子に、本作を翻案した『花の縁物語』(はなのえにしものがたり)という作品が存在する[1]。
- 『鳥部山物語』では「僧侶(民部卿)」と「少年(藤の弁)」の男色関係であったものが、『花の縁物語』では「武士(本多家の家臣・左京)」と「美女」の異性愛関係に書き換えられている。
- 登場人物の性別や属性は変更されているが、東国への下向、相手の病死、土山での訃報、墓前での自害未遂(『花の縁』では自害完遂)といったプロットや文章はそのまま模倣されている。
この『花の縁物語』の存在は、『鳥部山物語』が江戸時代以前から普及し、受容されていたことを示す証左となっている。