鶴樹院
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寛政12年、和歌山藩主・徳川治宝の五女として、和歌山で生まれた。同母姉に徳川虎千代の婚約者で後の仙台藩主伊達斉宗の正室となった信恭院がいる。
享和4年(1804年)1月27日に加賀藩主前田斉広嫡子の前田裕次郎(利命)と婚約し、文化2年(1805年)2月28日に和歌山を出発、3月18日に江戸へ到着した。しかし、その2か月後に裕次郎が死去したために破談となった。
文化13年(1816年)6月3日に清水徳川家当主徳川斉順が、治宝の養嗣子として豊姫の婿となり紀州徳川家に入ることが決まった。11月、斉順が清水邸より和歌山藩邸に引き移り、婚礼が行われた。
翌文化14年(1817年)4月、懐妊した豊姫は着帯を行い、8月に安産で斉順の子である菊姫を出産した。しかし、生後2か月で菊姫は死去した。それ以降、豊姫に子供は生まれなかった。男児流産の記録はある。その後、斉順は側室の留井や八十、美佐の方との間に子を儲けたが、斉順と側室との子も立て続けに夭折している。結局、子がいないまま弘化2年(1845年)に豊姫は死去し、翌年には斉順も死去した。なお、豊姫(死後に鶴樹院の院号が贈られた)の死去は8月4日だったが、公式には8月10日死去となっている。