鹿背隧道
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萩と小郡を結ぶ仮定県道16号線は狭隘路、険しい峠の多さから車両の通行は不可能であった[7]。そのため1880年(明治13年)から翌1884年(明治17年)にかけて県道の改修工事が行われた際に掘削されたのが当隧道である[2][7]。当隧道は1883年(明治16年)7月4日に着工し、1884年(明治17年)5月25日に竣工[8]、7月17日には開通式が行われた[9]。建設にあたっては新渡戸稲造の実兄である新渡戸七郎が技術者として招かれている[10]。なお開通時期については登録有形文化財の情報では1886年(明治19年)開通となっている[5]。
隧道の開通に伴い峠の旧道は廃れたが、後の1983年(昭和58年)に遊歩道として再整備されている[11]。
1920年(大正9年)になり県道の新線(のちの国道262号)が開通すると県道指定を外されるが、このルートは萩から旭村を直結するルートであることから1974年(昭和49年)に山口県道路公社が有料道路の建設を計画した。この計画はオイルショックにより頓挫するが1979年(昭和54年)より一般道路事業で整備を進めることとなり、当隧道を含む区間は再び県道329号明木萩線に指定される[7]。しかし1987年(昭和62年)度にNTT-A型事業の一つとして当地を通る総合有料道路事業が創設されたことで再び有料道路の建設が進められ、1992年(平成4年)3月27日に萩有料道路として供用開始、悴坂垰には萩往還隧道が掘削された[12]。1999年(平成11年)7月8日に国の登録有形文化財に登録されている[13]。
脚注
- 1 2 一般社団法人山口県観光連盟. “鹿背隧道|観光スポット|【公式】山口県観光/旅行サイト おいでませ山口へ”. おいでませ山口へ. 2025年11月1日閲覧。
- 1 2 『萩図誌 : 萩青年会議所創立20周年記念事業』1978年。doi:10.11501/9574127。https://doi.org/10.11501/9574127。2025年11月1日閲覧。
- ↑ 『工学会誌 4(合本)(第37-48巻)』1885年。doi:10.11501/1528092。https://doi.org/10.11501/1528092。2025年11月1日閲覧。
- ↑ 『道路 : road engineering & management review (577)』1989年3月。doi:10.11501/3309255。https://doi.org/10.11501/3309255。2025年11月1日閲覧。
- 1 2 “鹿背隧道 文化遺産オンライン”. bunka.nii.ac.jp. 2025年11月1日閲覧。
- ↑ 文化財保護課 (2015年3月13日). “萩市の文化財一覧表”. 萩市. 2025年11月3日閲覧。
- 1 2 3 『萩市史 第2巻』1989年。doi:10.11501/9576506。https://doi.org/10.11501/9576506。2025年11月1日閲覧。
- ↑ 『工学会誌 4(合本)(第37-48巻)』1885年。doi:10.11501/1528092。https://doi.org/10.11501/1528092。2025年11月1日閲覧。
- ↑ 『官報 1884年09月08日』1884年9月8日。doi:10.11501/2943565。https://doi.org/10.11501/2943565。2025年11月1日閲覧。
- ↑ 『安積疏水百年史』1982年。doi:10.11501/11993178。https://doi.org/10.11501/11993178。2025年11月1日閲覧。
- ↑ 『歴史の道「萩往還」保存整備事業報告書』1989年。doi:10.11501/13263139。https://doi.org/10.11501/13263139。2025年11月1日閲覧。
- ↑ 『公営企業 26(3)(303)』1994年6月。doi:10.11501/2679374。https://doi.org/10.11501/2679374。2025年11月1日閲覧。
- ↑ “国指定文化財等データベース”. kunishitei.bunka.go.jp. 2025年11月1日閲覧。