黒瀬城

愛媛県西予市に存在した日本の城 From Wikipedia, the free encyclopedia

黒瀬城(くろせじょう)は、愛媛県西予市にあった日本の城山城)。

城郭構造 山城
築城主 西園寺実充
築城年 16世紀後半
主な城主 伊予西園寺氏、岩城少右衛門
概要 logo黒瀬城 (愛媛県), 城郭構造 ...
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黒瀬城
愛媛県
城郭構造 山城
築城主 西園寺実充
築城年 16世紀後半
主な城主 伊予西園寺氏、岩城少右衛門
指定文化財 なし
位置 北緯33度21分33.7秒 東経132度30分23.0秒
黒瀬城の位置(愛媛県内)
黒瀬城
黒瀬城
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概要

標高350mの黒瀬山の山頂にあり、や曲輪が設けられた。また、支城としてとびがす城我合城岡城護摩が森城土居城などがあった。

『宇和旧記』によれば西園寺実充松葉城を捨てて当城の築城を始めたが、完成前に実充は死去して西園寺公家の代に完成、移転したという。しかし『言継卿記』によれば実充は黒瀬城を完成させて移転し、黒瀬殿と称され、永禄8年(1565年)には上洛して大徳寺で落髪している。

当城は元亀3年(1572年)に大友氏に攻撃され、天正9年(1581年)には長宗我部氏によって城下町を焼かれ、天正12年(1584年)には城主の西園寺公広長宗我部元親に臣従している。天正13年(1585年)の四国の役で公広は小早川隆景に降伏し、在城を許されて九州征伐に参加した。天正15年(1587年)に戸田勝隆が伊予に移封されると公広は下城して願成寺に隠棲したが、同年12月1日12月30日)に勝隆により謀殺された。その後、岩城少右衛門が城代として入っている。

参考文献

  • 日本歴史地名大系 (オンライン版)

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