海人魚

From Wikipedia, the free encyclopedia

海人魚(かいにんぎょ)は、中国伝説の人魚の一種。美麗な女性に似て手はあるが足はない、とされるが、じっさいは雄雌おり、生殖器があり、人間と普通に性交もおこなえる、沿岸地方では寡夫や寡婦がこれを捕らえて養育するのだという。

洽聞記

古くは(618 - 907)・鄭遂[1]『洽聞記』に記述がみられる。海人魚は人間に近く、臨海の鰥(やもめ)たちは、"これを養って交わりをもった"(性交した)のだとされる[1]。原文と訳を以下に示す。

北宋・『太平広記』(977年-978年)巻464に、出典は『洽聞記』だと断ったうえで、以下の通り記述がある:

誠斎雑記

・林坤『誠斎雑記』にもほぼ同様の記述がある。

同様文は明代の『華夷考(華夷花木鳥獣珍玩考)』にもみつかり[6]小野蘭山も引いている[9]

類例

徂異記

『徂異記』(宋代)[注 1]に類例(高麗での目撃例)があり[1]類書(百科事典)に引かれている[10]。同じ類書の別箇所で引かれる詳述文を以下に示すが、そこでは典拠が古代の『甄異記』(晋代)であると[注 2][11]間違えている。查道は宋代の人なのでありえないと指摘される[13][注 3]

「人魚」とあり「海人魚」という名称は明言されない[注 4][注 5]

また、下半身が魚であると明言はしていないので、江戸期の本草学者蘭山(上述)は、「まったく人の形なる」例として挙げているが[9]、本邦の聖徳太子伝の注釈などでは『徂異記』の読み下しに「腰より下は皆魚なり」という添文をおこなっているようである[18][20]

「肘[後]の微に紅鬣有り」と読み下されるが[15]、"両肘の後脇に至りて、赤紅の鬣あり"の意訳がみえるので [20][21]、長い鬣(たてがみ)が肘まで伸びているという意に解せる。しかし「肘の後ろに紅い鬣(ひれ)があった」という訳出もある[17][25]

陳悝と江神

また、上述の引用話の兼ね合いで所収されている次のような説話が、『太平広記』巻295引『洽聞記』にある[26][27]。同じ話は祖台之中国語版『志怪』(『太平御覧』巻68引)にもみつかる[27][28]

隆安年間(東晋、397年-401年)、丹徒揚子江の河口)の陳悝という漁民がえり[注 6]をしかけた中に、一糸まとわぬ美女がかかったが、夜間にある者がこれを強姦した。女は自分は「江神」(『志怪』では「江黄」)と陳悝に名乗り、自分を凌辱したものは神(天帝)に告げて殺してもらいます、と告げた。陳悝は彼女をその場にそのまま残すと満潮になっていなくなった。犯人はまもなく病で死んだという[27]

ただ当例の「江神」は即ち長江の神[27](揚子江の女神)なので、「海人魚」の形容があてはまるとはいいがたい。

海錯図

人魚(海人魚とされる[29]
―『海錯図』第一冊

清代の聶璜『海錯図』という図譜の第一冊に人魚の図が含まれるが、これは「海人魚」の例であろうと学術論文にみえる[29]。異名を「海人」とするとあるので[30][注 7]、海の人魚の一種とみなされることは窮知できよう。

海和尚

時代が下ると、海の人魚は海神の一種とみなされ、 特に粤の地(広東省地方)では、船に祟りを与える不吉なものと考えられた[31]

屈大均中国語版(1630年-1696年)『広東新語』には(上の『海錯図』でも異文で引かれているが)、次のような記述がある:

また近世・清代の記録で、南の海上(広東地方)には、女性の姿の大魚が出現したとある(陸祚蕃中国語版『粤西偶記』[注 13][1]

盧亭

人魚の種族のなかに「盧亭」というものがある。新安の大魚山および南亭竹にもいるが、考萬山ほど多くはいない。体長は人と同程度。オスとメスがいる。短い毛髪はきつね色。眼は黄色いともいう。顔色は黒く尾は長く、一瞬でも人を見れば驚き怖れて水に入る。往々波に付き従い(現れ、現れると)疾風に至るため、人はこれを怪み、競って追い払う[34]

注釈

出典

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI