1934 FIFAワールドカップ
1934年にイタリアで行われた第2回FIFAワールドカップ
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予選
出場国
出場選手は1934 FIFAワールドカップ参加チームを参照。
| 大陸連盟 | 出場 枠数 | 予選 | 組 予選順位 | 出場国・地域 | 出場回数 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| UEFA | 12 | 欧州予選 | 1組 | 1位 | 初出場 | |
| 2組 | 1位 | 初出場 | ||||
| 3組 | 1位 | 初出場・開催国 | ||||
| 4組 | 1位 | 初出場 | ||||
| 2位 | 初出場 | |||||
| 5組 | 1位 | 初出場 | ||||
| 6組 | 1位 | 初出場 | ||||
| 2位 | 2大会連続2回目 | |||||
| 7組 | 1位 | 初出場 | ||||
| 2位 | 2大会連続2回目 | |||||
| 8組 | 1位 | 初出場 | ||||
| 2位 | 2大会連続2回目 | |||||
| CONMEBOL | 2 | 南米予選 | 9組 | 1位 | 2大会連続2回目 | |
| 10組 | 1位 | 2大会連続2回目 | ||||
| CONCACAF | 1 | 北中米カリブ海予選 | 11組 | 1位 | 2大会連続2回目 | |
| CAF/AFC | 1 | アフリカ・アジア予選 | 12組 | 1位 | 初出場 | |
本大会
概要
この大会はムッソリーニ率いるファシスト党統治下のイタリア王国で行われ、対イタリア戦では審判や対戦相手に強い圧力が加えられた。また前回大会の準優勝国アルゼンチンをはじめとして多くの選手を帰化させており、帰化選手がイタリアチームの大半を占めていた。準決勝の審判であったイワン・エクリンドは後にベニート・ムッソリーニと対面したことを証言し[1]、露骨にイタリア優位の判定を繰り返し、当時ヴンダーチームと呼ばれ、優勝候補筆頭であったオーストリア戦においてオーストリア選手のセンタリングを自らクリアするなどした。大会終了後、イタリア戦の審判の内の幾人かは、母国から出場停止処分を受けている。上記の背景もあり「史上最低のワールドカップ」として知られている。
第2回大会は、初めて大陸予選が行われた大会である。参加国は、前回の13カ国から32カ国に増加したが、そのうちの22カ国をヨーロッパ勢が占めた。前回大会でヨーロッパからの参加国が4カ国に止まったことに抗議するため、前回優勝国のウルグアイは参加を辞退した。この時はまだ開催国枠が設けられておらず、イタリアも予選からの参加だった。ノックアウト方式の予選を勝ち抜いた16チームが本大会に出場した。1回戦を勝ったオーストリア、チェコスロバキア、ドイツ、ハンガリー、イタリア、スペイン、スウェーデン、スイスが準々決勝に進出した。
準々決勝のイタリア対スペイン戦で延長戦後の1対1での引き分けを受けて、再試合が行われイタリアが1対0で勝利した。次の対オーストリア戦を1対0で勝利し、イタリアは決勝戦に進出した。チェコスロバキアはドイツを3対1で破り、決勝に進出した。決勝戦は70分の時点でチェコスロバキアが1対0でリードしていたが、その後2点を取り逆転したイタリアがワールドカップ初優勝を果たした。
また、この大会から準決勝で敗れた国同士による3位決定戦が行わるようになった(第4回大会を除く[2])。
このことがきっかけで、主に南米から欧州の代表に選手の流出(例えば1950年から1965年の15年間で800人がフランス、スペイン、イタリア等に流出)が加速し、南米の各代表のチーム力が落ちることになった為、1962年第7回チリW杯終了後、FIFAは生涯1代表(出場できるのは初めて国際試合に出場した際の国籍の代表だけ)と定めた[3]。なお、現在は、重国籍者の例外規定がある。
会場一覧
| ミラノ | ボローニャ | ||
|---|---|---|---|
| スタディオ・サン・シーロ | スタディオ・リットラーレ | ||
| 収容人数: 55,000人 | 収容人数: 50,100人 | ||
| ローマ | フィレンツェ | ||
| スタディオ・ナツィオナーレPNF | スタディオ・ジョヴァンニ・ベルタ | ||
| 収容人数: 47,300人 | 収容人数: 47,290人 | ||
| ナポリ | ジェノヴァ | トリノ | トリエステ |
| スタディオ・ジョルジオ・アスカレッリ | スタディオ・ルイジ・フェッラーリス | スタディオ・ベニート・ムッソリーニ | スタディオ・リットーリオ |
| 収容人数: 40,000人 | 収容人数: 36,703人 | 収容人数: 28,140人 | 収容人数: 8,000人 |
結果
| ラウンド16 | 準々決勝 | 準決勝 | 決勝 | |||||||||||
| 5月27日 - フィレンツェ | ||||||||||||||
| 5 | ||||||||||||||
| 5月31日 - ミラン | ||||||||||||||
| 2 | ||||||||||||||
| 2 | ||||||||||||||
| 5月27日 - ボローニャ | ||||||||||||||
| 1 | ||||||||||||||
| 3 | ||||||||||||||
| 6月3日 – ローマ | ||||||||||||||
| 2 | ||||||||||||||
| 1 | ||||||||||||||
| 5月27日 - ミラン | ||||||||||||||
|
| 3 | |||||||||||||
| 2 | ||||||||||||||
| 5月31日 - トリノ | ||||||||||||||
| 3 | ||||||||||||||
| 2 | ||||||||||||||
| 5月27日 - トリエステ | ||||||||||||||
|
| 3 | |||||||||||||
| 2 | ||||||||||||||
| 6月10日 – ローマ | ||||||||||||||
| 1 | ||||||||||||||
|
| 1 | |||||||||||||
| 5月27日 - トリノ | ||||||||||||||
| 2 | ||||||||||||||
|
| 3 | |||||||||||||
| 5月31日 - ボローニャ | ||||||||||||||
| 2 | ||||||||||||||
| 2 | ||||||||||||||
| 5月27日 - ナポリ | ||||||||||||||
| 1 | ||||||||||||||
| 4 | ||||||||||||||
| 6月3日 - ミラン | ||||||||||||||
| 2 | ||||||||||||||
| 0 | ||||||||||||||
| 5月27日 - ジェノヴァ | ||||||||||||||
| 1 | 3位決定戦 | |||||||||||||
| 3 | ||||||||||||||
| 5月31日 – フィレンツェ (再試合 6月1日) | 6月7日 - ナポリ | |||||||||||||
| 1 | ||||||||||||||
| 1 (0) | 3 | |||||||||||||
| 5月27日 - ローマ | ||||||||||||||
| 1 (1) | 2 | |||||||||||||
| 7 | ||||||||||||||
| 1 | ||||||||||||||
1回戦
準々決勝
再試合
準決勝
3位決定戦
決勝
|
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優勝国
| 1934 FIFAワールドカップ優勝国 |
|---|
イタリア 初優勝 |
得点ランキング
| 順位 | 選手名 | 国籍 | 得点数 |
|---|---|---|---|
| 1 | オルドリッヒ・ネイエドリー | 5 | |
| 2 | エトムント・コーネン | 4 | |
| アンジェロ・スキアビオ | |||
| 4 | ライムンド・オルシ | 3 | |
| レオポルト・キールホルツ |