ルイス・レゲイロ

From Wikipedia, the free encyclopedia

本名 ルイス・レゲイロ・パゴーラ
Luis Regueiro Pagola
愛称 El Corso (コルシカ島の男)
ラテン文字 Luis Regueiro
ルイス・レゲイロ
名前
本名 ルイス・レゲイロ・パゴーラ
Luis Regueiro Pagola
愛称 El Corso (コルシカ島の男)
ラテン文字 Luis Regueiro
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1908-07-01) 1908年7月1日
出身地 イルン
没年月日 1995年12月6日(1995-12-06)(87歳没)
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1924-1931 スペインの旗 レアル・ウニオン 53 (37)
1931-1936 スペインの旗 レアル・マドリード 92 (53)
1938-1939 メキシコの旗 エウスカディ 10 (7)
1940-1942 メキシコの旗 アストゥリアス
1942-1944 メキシコの旗 クラブ・アメリカ
代表歴
1927-1936 スペインの旗 スペイン 25 (16)
1937-1938 バスク州の旗 バスク 40
監督歴
1942-1945 メキシコの旗 クラブ・アメリカ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ルイス・レゲイロスペイン語: Luis Regueiro, 1908年7月1日 - 1995年12月6日)は、スペインバスク州イルン出身の元サッカー選手、元サッカー指導者。しばしば愛称のエル・コルソ(スペイン語: El corzo)と呼ばれた。元スペイン代表

スペイン代表

バスク地方ギプスコア県イルン出身。イルンに本拠地を置くレアル・ウニオンからデビューすると、1931年から1936年までマドリードCF(現・レアル・マドリード)でプレーし、92試合に出場して53得点を記録した。1936年にスペイン内戦が勃発するとメキシコに渡り、1938-39年にはCDエウスカディ英語版のメンバーとしてメキシコのプリメーラ・フエルサ(プロ化前のアマチュアリーグ)でプレーした。このチームは実質的なバスク地方選抜であり、アスレティック・ビルバオやレアル・マドリードの元所属選手が多く名を連ねている。最年長の30歳だったレゲイロはキャプテンを務めた。1939年からはやはりプリメーラ・フエルサで、外国人選手などで構成されたアストゥリアスFC英語版でプレー[1]。1942年から1944年にはクラブ・アメリカでプレーし、1943年のプリメーラ・ディビシオン(プロリーグ)設立に立ち会っている[2]

1943年にメキシコで生まれた息子のルイス・レゲイロ・ウルキオラ英語版もサッカー選手となった。レゲイロ・ウルキオラは中盤でプレーした創造的な選手であり、1966年のイングランドワールドカップメキシコ代表として出場している。

スペイン代表としては25試合に出場して16得点を記録しており、1928年にはアムステルダムオリンピックに、1934年にはイタリアワールドカップに出場した。

1928年にはオランダのアムステルダムで開催されたアムステルダムオリンピックに参加した。1回戦のメキシコ戦で2得点を挙げたが、スペイン代表は準々決勝でイタリア代表に敗れた。2得点はホセ・マリア・イェルモ英語版(4得点)に次いでチーム2位の得点数である。1934年のイタリアワールドカップでは初戦でブラジル代表に勝利したが、レゲイロは控えだった。準々決勝のイタリア戦には先発出場し、レゲイロは30分に先制点を決めたが、1-1と決着がつかなかった。翌日の再試合にも出場したが、スペイン代表は0-1で敗れた。

タイトル

代表での得点

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI