1937年のグランプリ・シーズン
From Wikipedia, the free encyclopedia
| ||||||||||||
| ||||||||||||
1937年のグランプリ・シーズン は、AIACRヨーロッパ選手権の第5回大会が開催されたグランプリ・シーズンである。メルセデスのルドルフ・カラツィオラがヨーロッパ選手権を制した。カラツィオラは選手権の対象となる5つのグランプリのうち3つに勝利した。
1937年シーズンは、戦前のグランプリ史上最も高出力のマシンによるシーズンとなった。メルセデス・ベンツのマシンのスーパーチャージャー付き5.6L直列8気筒エンジンは約650馬力を発揮したが、当時の平均的な市販車のエンジンが25馬力前後を発揮していたことを考慮すると、1937年シーズンのグランプリ・マシンの相対的なパフォーマンスは、近代モータースポーツ史上他に類を見ない程に高かった。極端に向上したグランプリ・マシンの性能は、翌年のレギュレーションがその歴史上初めてエンジンの排気量に制限をかけ、最低重量を引き上げてマシンのスピードを抑制することに繋がった。グランプリにおけるメルセデス・ベンツの技術開発は、当時のナチス政権による国家的な補助金制度に支えられたものでもあった。スーパーチャージャーによって過給されるメルセデス・ベンツ・W125のエンジン出力は、1960年代後半に北米でCan-Amのレーシングカーが登場するまで匹敵されることが無かった。そして欧州のF1マシンは、約45年が経過した1980年代初頭になるまでの間、1937年当時のマシンに匹敵するエンジン出力を得ることは無かった。

ヨーロッパ選手権グランプリ
1937年シーズンは750kgフォーミュラによる最後のグランプリ・シーズンとなった。メルセデス・ベンツは、不振に終わった1936年シーズンの雪辱を新型車メルセデス・ベンツ・W125に託した。アウトウニオンは改良を施したアウトウニオン・タイプCを継続して使用した。スクーデリア・フェラーリは昨年に引き続きアルファロメオ12C-36で参戦したが、競争力の低下は明らかだった。シーズン後半には、ファクトリーチームのアルファコルセが新車アルファロメオ12C-37を出走させたが、期待された性能は発揮できなかった。アルファロメオの新車に失望したタツィオ・ヌヴォラーリはスイスグランプリではアウトウニオンのチームに加わった[1]。さらに、ドライバー面ではルイジ・ファジオーリがメルセデスからアウトウニオンに移籍し、メルセデスには新たに英国人のリチャード・シーマンが加入した。1937年の選手権はメルセデスのルドルフ・カラツィオラに支配されたものとなり、カラツィオラは欠場した一戦を除き4戦中3勝を挙げた。新型のメルセデスW125はシーズンを通して高い性能を見せた。前年に引き続きアウトウニオン・タイプCに乗るベルント・ローゼマイヤーは、主要なグランプリで3勝するなど活躍したが、いずれもヨーロッパ選手権の対象となっていなかったことでタイトル争いには加わることができなかった。メカニック出身のヘルマン・ラングは、エースのカラツィオラに匹敵するスピードを見せ、メルセデスチーム内には不協和音が生じた[2]。選手権初戦のベルギーグランプリでは、ヴァンダービルト・カップ出場の為に一部の有力選手が欠場した中、アウトウニオンのルドルフ・ハッセが勝利した。
| Rd | 開催日 | レース | サーキット | PP(プラクティス最速) | ファステストラップ | 優勝者 | コンストラクター | レポート |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 7月11日 | スパ・フランコルシャン | 抽選でグリッド決定 | アウトウニオン | 詳細 | |||
| 2 | 7月25日 | ニュルブルクリンク | メルセデス・ベンツ | 詳細 | ||||
| 3 | 8月8日 | モンテカルロ市街地コース | メルセデス・ベンツ | 詳細 | ||||
| 4 | 8月22日 | ブレムガルテン・サーキット | メルセデス・ベンツ | 詳細 | ||||
| 5 | 9月12日 | リヴィルノ・サーキット | メルセデス・ベンツ | 詳細 |