1979年山梨県知事選挙 From Wikipedia, the free encyclopedia 1979年山梨県知事選挙 1975年 ← 1979年2月3日 (1979-02-03) → 1983年 投票率 88.70% 候補者 望月幸明田邊圀男福田剛司 政党 無所属無所属日本共産党 得票数 247,368 235,01111,196 得票率 50.12%47.61%2.27% 選挙前知事 田邊圀男 選出知事 望月幸明 1979年山梨県知事選挙は、山梨県の執行機関である県知事を選出するために行われた選挙で、1979年(昭和54年)2月3日に投開票が行われた。 山梨県知事の任期4年が満了したことに伴って実施された選挙で、これまで3期にわたり県知事を務めていた田邊圀男は4選を目指し出馬を表明した。 しかし田邊のライバル的存在でもあった金丸信は田邊の4選を副知事であった望月幸明を擁立した。田邊が元々自由民主党公認の衆議院議員であったのに対し望月は日本社会党寄りであったが、金丸は「保革連合」を結成し田邊の多選を批判した[1]。 選挙の結果、望月が田邊を破り、山梨県知事に就任した。 選挙結果 投票率:88.70%(有効投票者数493,575名) 候補者別得票 当落 候補者名 所属党派 新旧 得票数 得票率 推薦・支持 当選 望月幸明 無所属 新人 247,368 50.12% 田邊圀男 無所属 現職 235,011 47.61% 福田剛司 無所属 新人 14,081 2.27% 日本共産党 合計 493,575 選挙後の動き 当選した望月は「県民党」と呼ばれるオール与党体制を築き、中央自動車道の全線開通やバブル景気の好影響もあり「活気ある山梨づくり」をスローガンに様々な政策を実施する。 落選した田邊は今後の知事選では望月への選挙協力を条件に自由民主党公認の衆議院議員に戻り、沖縄開発庁長官を歴任した。 12年後の1991年山梨県知事選挙では望月は田邊の4選を批判した経緯から出馬を断念し、副知事であった小沢澄夫を後継者として指名。金丸をはじめ自民、社会、公明、民社の4政党が推薦をするなど組織戦を展開した。これに対し田邊は石和町長でかつて山梨県知事であった天野久の子・天野建を支持し、「県民党」体制継続を批判した。そして1991年2月3日の総開票の結果、天野が小沢を破り県知事に就任した。 この選挙では自民党内が金丸派と反金丸派に分裂したことで田邊を公認することができず保革連合体制となったが、この影響が後年まで響き2019年山梨県知事選挙にて長崎幸太郎を推薦するまで独自一本化候補の推薦をすることができなかった[2]。 出典 ↑ “【安倍政権考】首相と対極的 金丸氏の政治手法 (2/3ページ)”. 産経新聞. (2014年12月8日). https://web.archive.org/web/20190113232227/http://www.sankeibiz.jp/express/news/141208/exa1412081550005-n2.htm 2019年1月13日閲覧。 ↑ “知事選 自民が長崎氏の推薦決定”. NHKニュース. (2017年11月7日). オリジナルの2018年11月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181111053750/https://www3.nhk.or.jp/lnews/kofu/20181107/1040004775.html 表話編歴 山梨県の選挙山梨県知事選挙 1947 1951 1955 1959 1963 1967 1971 1975 1979 1983 1987 1991 1995 1999 2003 2007 2011 2015 2019 2023 山梨県議会議員選挙 1947 1951 1955 1959 1963 1967 1971 1975 1979 1983 1987 1991 1995 1999 2003 2007 2011 2015 2019 2023 関連項目 統一地方選挙 甲州選挙 カテゴリ この項目は、政治に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 政治学/ウィキプロジェクト 政治)。表示編集 Related Articles