AT-9 (航空機)
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設計
運用
AT-9は1941年予算で491機が発注され、1942年予算ではエンジンを強化し、油圧系統を改善したAT-9Aが300機発注された。AT-9は主にB-25やB-26といった高性能機のパイロットの育成用に使われた。そのために意図的に安定性を減らし、操縦を難しくしていたが、かえってP-38よりも操縦が難しいというパイロットも多かった。さらに複座(通常は操縦訓練生と教官)ゆえに、航法士や無線士といった職種を同時に訓練することができなかった上、アメリカの航空機産業の生産能力が高いため、新型に入れ替える形で後方に下げられた型落ちの爆撃機を転用する余裕もあった事情から、使い勝手の悪いAT-9は訓練飛行隊から引揚げられてしまった。
戦後は地上での整備訓練のために使われたほか、民間にも放出されたが操縦の難しさに加えて用途が限られ、更に機体容積の狭さから人気が出ず、多くの機体は買い手がつかなかった[2]
現存機
2機のAT-9が保存されているほか、オハイオ州の国立アメリカ空軍博物館にAT-9Aが1機が展示されている。