Akzidenz-Grotesk
サンセリフ書体ファミリー
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Akzidenz-Grotesk(アクチデンツ=グロテスク)は、1898年にベルリンのベルトルト活字鋳造所から発表されたサンセリフ体の書体ファミリーである。「アクチデンツ」という名称は、美術印刷ではなく、広告、チケット、帳票などの商業印刷物向けに制作された書体であることを示している。また、「グロテスク」は当時のサンセリフ体に対する一般的な呼称であった(本来の “grotesque” は、必ずしも醜悪さを意味するものではなく、当時としては奇抜で従来の様式から外れたものを指していた)。
19世紀後半に誕生したAkzidenz-Groteskは、同世紀のドイツの印刷業界で主流となっていた、装飾を排した汎用的なサンセリフ体の系譜に属する。発表後およそ半世紀の間は比較的知名度が低かったものの、戦後になると、多くのスイスのグラフィックデザイナーに好んで使用されるようになり、象徴的な地位を確立した。この様式は後に「インターナショナル・スタイル」あるいは「スイス・スタイル」と呼ばれ、1950年代から1960年代にかけて欧米で広く流行した。そのシンプルで中立的なデザインは、後続の多くの書体にも影響を与えている。英語圏ではStandard(スタンダード)の名称で販売されることもあり、ベルトルト社をはじめとする複数の企業からさまざまなデジタル版フォントがリリースされている。
名称の由来
Akzidenz-Groteskは、英語ではしばしば “jobbing sans-serif”(商業印刷向けサンセリフ体)と訳される。ここでの “jobbing” は、「実務用」あるいは「業務向け」といった意味で用いられている[2]。“Akzidenz” と “Grotesk” はいずれも、当時のドイツ語において書体を表す日常的かつ説明的な語であった。
“Akzidenz”(アクチデンツ)は、何らかの事象や出来事(英: event。格式高い社交行事ではなく、単に「起きる物事」という意味[3])を指す語であり、そこから転じて商業印刷に関する用語として用いられていた。1870年代までには、“Akzidenzschrift”(アクチデンツシュリフト)は、こうした用途向けの書体を指す一般的な総称となっていた[3][4]。現代ドイツ語の辞書では、広告や帳票などに関わる業務を意味する語として説明されている[5][6]。この語の起源はラテン語の “accidentia” にあり、ルイスとショートの『ラテン語辞典』では「起こること、偶然の出来事、偶発事」と定義されている[3][7]。
“Grotesque”(グロテスク、独: Grotesk)は、19世紀前半に普及したサンセリフ体の標準的呼称である。この語は1830年頃、ロンドンの活字鋳造業者ウィリアム・ソローグッドが、自身のファン・ストリート活字鋳造所の見本帳において、サンセリフ体の名称として導入したものであった[8]。この名称は、サンセリフ体の持つ「原始的」な印象や、古代ギリシア・ローマ碑文に由来する起源を反映したものと考えられている。19世紀後半までには、この語は否定的な含意を伴うことなく、単に「サンセリフ体」を意味する語として一般的に用いられるようになっていた[8]。
設計上の特徴

大半のサンセリフ体と同様に、Akzidenz-Groteskは、文字のすべてのストロークがほぼ同一の太さで構成された「モノライン」構造を持つ。これにより、アール・ヌーヴォーの影響を受けた19世紀後半の装飾的なサンセリフ体に見られるような装飾性や華美さを排した、簡潔な印象を与えている[9]。現代の書体デザイナーであるマルティン・マヨールは、Akzidenz-Groteskおよびその祖先書体の全体的なデザインについて、DidotやWalbaum、およびその系統に属する19世紀の標準的なディドニ様式のセリフ体と字形が類似していると指摘している[10]。この特徴は、特に a や c のような文字に見られる、狭く閉じ気味のアパーチャー(開口部)に顕著である[10]。Akzidenz-Groteskの大文字は幅広で、字幅も比較的均一である[8]。
Akzidenz-Groteskの g は、他の多くのドイツ系サンセリフ体と同様、「1階建て」の構造を採用している。これは、大半のセリフ体や、小文字を備えた初期のサンセリフ体の多くに見られる「2階建て」の g とは対照的である。サンセリフ体はロンドンで最初に登場したが、19世紀半ば以降にはドイツで広く普及した[11][12]。ウォルター・トレーシーは、この形式の g について、当時のドイツのサンセリフ体に共通する特徴であると述べている。またこれは、19世紀後半のドイツで長文印刷において依然広く用いられていたブラックレターの伝統から影響を受けたものとみられている。ブラックレターでは、正立体の組版において1階建ての g が使用されていた[13]。
Akzidenz-Groteskの金属活字には、サイズごとの差異が見られる。たとえば、小サイズの本文用活字では文字間隔を広めに取るなど、字間やプロポーションが調整されているが、これは金属活字の設計および母型彫刻工程における一般的な慣行であった[14][15][16]。さらに、ウェイト間にも相違が存在する。カール・ゲルストナーは、同じ20ポイントサイズで比較した場合でも、ミディアムおよびボールドのウェイトは、ライトやレギュラーとはエックスハイト、キャップハイト、ディセンダー長が異なると指摘している[14][17]。これは、19世紀のサンセリフ体が、後世のように統一的な拡張ファミリーを構成することを前提として設計されていなかったためである[18][3](1900年代のベルトルト社の資料では、ライトとレギュラーは互換性を持つものとして販売されており、当時ライトウェイトは「Royal-Grotesk」と呼ばれていた[19])。こうしたサイズやウェイト間のプロポーション差異は、原設計のさまざまな側面を復刻あるいは再解釈した現代的リバイバル版の登場につながっている。これについては後述する。
初期の歴史
Akzidenz-Groteskのデザインは、19世紀に制作された汎用サンセリフ体の系譜に属している[21]。19世紀後半のドイツではサンセリフ体が広く普及しており、多数の地域的な小規模活字鋳造所が、それぞれ異なるバリエーションを提供していた[22][11]。
ベルトルト活字鋳造所 (H. Berthold AG) は、1958年にベルリンで設立され、当初は機械加工による印刷用真鍮罫線を製造していたが、特に1893年以降は金属活字鋳造にも進出した[23][24]。1920年代以降の同社刊行物では、この書体ファミリーの成立年を、同社が2件のデザイン特許を登録した[25][26]1898年としている[27][11][28]。

エッケハルト・シューマッハー=ゲブラー、インドラ・クプファーシュミット、ダン・レイノルズ、ジョン・A・レーンらによる近年の研究によって、Akzidenz-Groteskの歴史的背景の多くが明らかになっている。その起源は、1897年にベルトルト社がシュトゥットガルトのバウアー商会活字鋳造所(Bauer u. Cie。フランクフルトの著名なバウアー活字鋳造所とは別企業)を買収したことにあると考えられている。当時、この鋳造所はドロップシャドウ効果を持つサンセリフ体「Schattierte Grotesk」を発表したばかりであった[20][31]。Akzidenz-Groteskは、このデザインからドロップシャドウを除去したものを基にしている[31]。
Akzidenz-Groteskのデザイン特許は1898年4月に出願されており、4月14日にシュトゥットガルトでバウアー商会が、続いて同月28日にベルリンでベルトルト社が申請を行っている。レイノルズは、ベルトルト社の社内記録が、このデザインがシュトゥットガルトに由来することを示していると指摘している[26][31]。また、Akzidenz-Groteskを紹介する初期広告の中には、両社の連名によるものも存在する[32][33][34]。
ベルトルト社初期の資料では、“Accidenz-Grotesk” という異綴りもしばしば用いられていた。これについてレイノルズは、バウアー商会活字鋳造所が販売していたブラックレター体「Accidenz-Gothisch」に続くブランド展開として、この名称が意図された可能性を示唆している[35][36]。レイノルズは総じて、Schattierte GroteskおよびAkzidenz-Groteskのスタイルについて、「他社の特定製品の模倣というよりも、当時のサンセリフ体デザインに関する諸要素を統合したもののように思われる」と述べている[3]。
Akzidenz-Groteskのライトウェイトは、長年にわたり「Royal-Grotesk」の名称で別個に展開されていた。これは1902年から1903年頃にベルトルト社によって制作されたとみられており、当時の業界誌では「新しく、非常に実用的な書体」として紹介されている。また、Akzidenz-Groteskのレギュラーウェイトと寸法が一致しており、組み合わせて使用可能であることも宣伝されていた[28][37][19][27]。
さらに、レイノルズおよびフロリアン・ハルトヴィヒは、Schmalhalbfettウェイト(セミボールド、あるいはミディアム・コンデンス)が、多くのドイツ活字鋳造所によって販売されていた系統の書体であり、その起源はおそらくニューヨークの活字鋳造所にあることを記録している[38][39][40]。
ベルトルト社の戦後期におけるアートディレクターであり、事実上Akzidenz-Groteskデザインの管理者とみなされていたギュンター・ゲルハルト・ランゲは、2003年のインタビューにおいて、この書体がフェルディナント・タインハルト活字鋳造所に由来すると述べている。この説はその後、他の文献でも広く踏襲されることとなった[41]。同鋳造所は、実業家でありパンチカッター(父型彫刻師)でもあったフェルディナント・タインハルトによって設立されたものである。タインハルトは、特にヒエログリフ書体やシリア文字書体に関する学術研究で知られていたが、1885年に事業を売却している[42][43][44]。
クプファーシュミットとレイノルズは、ベルトルト社による買収後に刊行されたタインハルト鋳造所の見本帳にAkzidenz-Groteskが掲載されていたことから、ランゲがこれを誤認した可能性を指摘している[23][45][46][47][48][28][20][33][49]。さらにレイノルズは、タインハルトが1885年に鋳造所をオスカー・マンメンならびにロベルトおよびエミール・モージヒに売却しており、Akzidenz-Groteskが発表される10年以上前の時点で経営から離れていたこと、またそれ以降に彼らのために新たな書体を制作した証拠が存在しないことも指摘している[44]。
またランゲによれば、戦後期には、「Royal-Grotesk」という名称がプロイセン科学アカデミーの依頼によって制作されたことに由来するという説も存在していた。しかしクプファーシュミットは、同アカデミーの刊行物を調査した結果、この書体の使用例を確認できなかったとしている[28]。

この時期のドイツでは、Akzidenz-Groteskと類似したスタイルのグロテスク・サンセリフ体が数多く販売されていた。20世紀初頭頃になると、これらの書体は、統一された複数のスタイルを備えた、より包括的な書体ファミリーとして展開されるようになっていった[3][50]。
競合書体としては、フランクフルトのバウアー活字鋳造所による非常に人気の高い「Venus-Grotesk」や、シェルター&ギーゼッケ社の「Koralle」などが存在した。Venus-GroteskはAkzidenz-Groteskと非常によく似ているが、大文字の重心が高いという特徴を持つ。一方、Koralleでは1階建ての a が採用されている[51][52][b](Monotype Grotesque 215もまた、この時期のドイツ書体に基づいている[54])。
ゼーマンによる1926年の『Handbuch der Schriftarten』(活字書体ハンドブック)は、当時ドイツ国内で入手可能であったすべての金属活字書体を収録した書体見本集であり、その刊行時点で販売されていたサンセリフ体の幅広いバリエーションを示している[55][27]。
1911年頃までに、ベルトルト社はAkzidenz-Groteskを体系的な書体ファミリーとして販売するようになっていた[56][28][33]。

Akzidenz-Groteskは決して不人気ではなかったものの、当時特に大規模な販促が行われていた書体というわけでもなく、ベルトルト社自身による宣伝も比較的控えめであった[14]。1921年のベルトルト社の見本帳兼社史では、半ば弁明するような調子で「1898年に制作されたAkzidenz-Groteskは、高い名声を獲得した。この古い書体は、今日であればおそらくより現代的な様式で作られるであろうが、それ自体に独特の生命力を備えており、もし改変が加えられれば、その特質は失われてしまうであろう。Akzidenz-Groteskを模倣した数多くの書体も、その個性には及ばなかった」と記されている[36]。
一方、発売直後の時期におけるベルトルト版Akzidenz-Groteskの特異な使用例として、詩人シュテファン・ゲオルゲによる採用が挙げられる[57]。ゲオルゲは自身の詩集印刷のため、アンシャル体風の代替字形を特注していた[58][59][60]。
20世紀半ばの使用例


1920年代後半になると、円や正方形の比率に基づくErbar、Futura、Kabelといった新しい「ジオメトリック(幾何学的)」サンセリフ体が流行し、Akzidenz-Groteskをはじめとする「グロテスク系」書体の使用は減少した。これを受け、ベルトルト社も同様の幾何学的スタイルによる書体ファミリー「Berthold-Grotesk」を発表している[c]。
一方、この時期には、サンセリフ体を時代精神を体現する書体として捉える動きも強まっていた。その代表例として挙げられるのが、ドイツのタイポグラファー、ヤン・チヒョルトの著作である。1923年、チヒョルトはハウス・アム・ホルンで開催された最初期のバウハウス展を訪れたことを契機に、モダニズム・デザインの理念へ傾倒するようになった。彼はそこで、従来のタイポグラフィの硬直した枠組みを打破しようと急進的な実験を行っていたモホリ=ナジ・ラースロー、エル・リシツキー、クルト・シュヴィッタースらの活動に接している[64]。
その後、チヒョルトはモダニズム・デザインの主要な提唱者となった。1925年には雑誌付録として影響力の大きい論考を発表し、1927年には個展を開催、さらに同年、代表作『Die neue Typographie』(新しいタイポグラフィ)を刊行した[65]。同書はモダンデザインの宣言書とも呼べる内容であり、チヒョルトはグロテスク体以外のほぼすべての書体を厳しく批判するとともに、19世紀の「無名の」サンセリフ体の美的特質を称賛した[66]。その主張は後のグラフィックデザインに大きな影響を与えることとなった。
現存するあらゆる書体の中で、いわゆる「グロテスク」体のみが、われわれの時代精神と真に一致している。サンセリフ体を現代の書体として掲げることは、単なる流行の問題ではない。それは現代建築にも見られる傾向を明確に表現しているのである。……しかしながら、現在利用可能なサンセリフ体は、汎用書体としてなお完全に満足のいくものではない。この書体形式の本質的特徴はいまだ十分に展開されておらず、とりわけ小文字はいまだに「ヒューマニスト」的字形に強く依存している。その多く、特にErbarやKabelのような新しいデザインは、古い無名のサンセリフ体より劣っており、他の「芸術的」書体と本質的に同列となるような修飾が施されている。実用書体としては、古いサンセリフ体ほど優れてはいない。……現在用いられている書体の中で最良なのは、いわゆる一般的な商業印刷用サンセリフ体であり、それは穏やかで読みやすい。[67]
スイス・スタイル
戦後になると、特にスイスにおいてAkzidenz-Groteskの人気が再燃し、後に「スイス・スタイル」あるいは「国際タイポグラフィー様式」と呼ばれるグラフィックデザイン様式の中核を担うようになった。この様式では、Akzidenz-Groteskはしばしば写真表現と組み合わせて使用され、従来のポスターに多く見られたオールキャップスはあまり用いられなかった[68]。
カール・ゲルストナー、ヨゼフ・ミューラー=ブロックマン、アーミン・ホフマンといったこの様式の代表的デザイナーたちは、いずれもAkzidenz-Groteskを多用した[69][70][71]。ゲルストナーもヤン・チヒョルトと同様、19世紀のサンセリフ体は、それ以前の数十年間に登場したより「個人的」なサンセリフ体よりもいっそう「自明的(独: Selbstverständlichkeit)」な性格を備えていると論じている[14][15]。美術史家スティーヴン・エスキルソンはそれらの書体について「より幾何学的に純粋な書体のように過度に様式化されることなく、機能主義的精神を伝達していた」と述べている[68]。
またベルトルト社は1980年代、チューリッヒにおけるAkzidenz-Groteskのこうした使用法の先駆者は、ドイツ生まれのデザイナー、アントン・スタンコウスキーであったと主張している[72]。


この時期、Akzidenz-Groteskは広く人気を集めていたが、Monotype Grotesqueのような他の書体も併用されていた。1950年代後半までのAkzidenz-Groteskには、手動組版用のバラ活字(金属活字)としてしか提供されていないという問題があった。これはポスター用途には十分であったものの、1950年代までにはホットメタル組版機が一般本文印刷の主流システムとなっていた。機械組版用Akzidenz-Groteskは1958年頃まで利用できず[d]、まずライノタイプ用として発売され、その後1960年にはインタータイプ用にも展開された[75][76]。このため、当時の本文組版の多くでは、外観の類似したMonotype Grotesqueが代替として使用されていた[77][78][79][53]。
アメリカ合衆国では、Akzidenz-Groteskはアムステルダム・コンチネンタル・タイプス社によって「Standard」の名称で輸入され、高い人気を得た。ポール・ショーによれば、「アムステルダム・コンチネンタル社がいつ『Standard』の輸入を開始したのかは明確ではないが、1957年の時点ですでに複数のレコードジャケットで使用されている」という[80][81][82]。
1957年には、Akzidenz-Groteskの高まる人気に対抗する形で、3つの重要な競合書体が登場した。非常に高いエックスハイトと詰まった字間を特徴とするハース活字鋳造所のHelvetica、幅広いウェイトと字幅を備えたドベルニ・エ・ペイニョ社のUnivers、そしてバウアー社のFolioである[76]。ショーによれば、アムステルダム・コンチネンタル社が「Standard」の積極的な販促を停止し、代わってHelveticaの販売促進へ重点を移した1965年夏頃から、ニューヨークではHelveticaがAkzidenz-Groteskに取って代わり始めたという[83]。
1960年代になると、ベルトルト社は書体見本帳の中で、Akzidenz-Groteskについて次のように述べている。
70年以上にわたり実用の中でその価値を証明し、今日に至るまであらゆる競争相手に対してその地位を保ち続けてきた書体シリーズである。国際水準のグラフィックや広告が見られる場所には、必ずAkzidenz-Groteskの姿がある。近年スイスで再評価されたことを契機として、この書体は世界中へ広まり、現代タイポグラフィに大きな影響を与えている。[84][85]
金属活字時代以降の展開

1950年代以降、金属活字の使用は次第に衰退し、Akzidenz-Groteskもまた、新しい写真植字技術向けに再展開されるようになった。これには、ベルトルト社独自の「ディアタイプ」システム向け版も含まれており[86]、その後さらにデジタル版へと移行していった[87]。
現行のAkzidenz-Grotesk諸版は、1950年代後半にランゲの指揮の下、ベルトルト社で進められた書体ファミリー拡張計画に由来している[87]。このプロジェクトにより、「AG Extra」(1958年)、「AG Extra Bold」(1966年)、「AG Super」(1968年)、「AG Super Italic」(2001年)、「Extra Bold Italic」(同年)などの新スタイルが追加された[88][87]。ベルトルト社は1978年に活字鋳造を終了している[89]。
一方、1960年代にはゲルストナーと、彼の所属するデザイン会社GGKバーゼルのデザイナーたちが、Akzidenz-Groteskをより統一的なシリーズへ再編する計画を開始した。これは、同時代に登場していた新しい書体ファミリー群に対応することを目的としたものであった。この成果は1960年代後半、「Gerstner-Programm」の名称でベルトルト社のディアタイプシステムに採用されたが、ランゲによれば、最終的に完全な形でリリースされることはなかったという[14][90][91][92]。その後、デジタル書体会社Forgotten Shapesからデジタル復刻版がリリースされている[93]。
ドイツのベルトルト社は1993年に破産し、1993年から2022年までベルトルト関連権利はシカゴのベルトルト・タイプスが保有した[94][95]。同社は2006年、「Akzidenz-Grotesk Pro」をOpenType形式でリリースし、翌年には対応するキリル文字およびギリシア文字セットを追加している[96][97]。共同所有者であったハーヴェイ・ハントは2022年に死去し[98]、同年後半に同社の書体ライブラリ権利はモノタイプに取得された[99]。
評価

前述のとおり、多くの著名なグラフィックデザイナーがAkzidenz-Groteskを使用してきた。2013年、Pentagramのパートナーであるドメニック・リッパは、Akzidenz-Groteskについて「おそらく史上最も優れた書体である。使用時に過度な主張をせず、デザイナーにより大きな自由度と汎用性を与えてくれる」と評価している[101]。
クリス・ソワーズビーは、セミボールドおよびボールドのウェイトを特に高く評価している[102]。またランゲは、ライトウェイトについて「当初から私のお気に入りの書体だった。ベルトルト社で最初に作った名刺やレターヘッドにも使用した。繊細で細身な彫刻活字である」と述べている[103]。
一方で、Akzidenz-Groteskには特徴的な批判点も存在する。ゲルストナーの著書『Programme entwerfen』(デザイン・プログラムの構築)の表紙にも見られるように、レギュラーウェイトでは小文字に対して大文字が不均衡に見え、長文組版では問題となりうる点である。
アドリアン・フルティガーは、Akzidenz-Groteskについて「印刷面に黒いムラを生じさせる」と評している[104]。またレイノルズは、デジタル版では「大文字の黒みがわずかに強すぎ、後続する小文字との字間がやや詰まりすぎている」と述べている[105]。さらに、ヴォルフガング・ホモラは、Helveticaの方が「大文字と小文字のステム(縦画)の太さの均衡が取れている」と評価している[106]。
特色

この書体の特色として、以下が挙げられる。
小文字:狭いアパーチャーと、垂直方向へ巻き込まれるようなストロークによる「閉じ気味」の構造を持つ。この特徴は c、e、s、a などで特に顕著である[10]。一方、ストローク終端(ターミナル)は、Helveticaほど厳密に水平・垂直へ統一されてはいない。i のドットは四角形であり、a は2階建て[109]、g は1階建てとなっている[110]。
大文字:G は垂直方向のスパー(突起)を持つ[109]。大文字は全体として幅広く、文字幅の変化が比較的小さいため、E や F などもかなり横幅が広い[8][111]。M は垂直な外側ストロークを持ち、内側の斜線は文字下部中央で交差する[109]。複数のウェイトで、大文字のストロークが小文字よりも著しく太い[112][105]。また、多くのスタイルで R の脚が直線的であり、Q のテールは文字内部を横切らない[113]。
数字:1 の頂部にはセリフがあり、一部のスタイルでは 7 の左上にも下向きのセリフが付く[113]。
ただし、Akzidenz-Groteskはウェイトやサイズごとに個別にパンチカットされていたため、これらの特色すべてが全スタイルに共通して現れるわけではない[84]。たとえば、「Schmalhalbfett」(コンデンス・ミディアム)ウェイトの t は下部ベースを持たないが、これはベルトルト社による設計ではなく、別個に制作されたためである[3]。
Akzidenz-Groteskには、戦後期までイタリック体が存在しなかった[3]。その斜体は真のイタリック体ではなく、オブリーク(単純傾斜体)である[114]。つまり、手書き由来の字形を採用するのではなく、既存字形を単純に傾斜させた設計となっている[10]。Akzidenz-Groteskにイタリック体が存在しなかった金属活字時代には、アムステルダム・コンチネンタル社が、無関係の書体「Mercator」のイタリック体をコンパニオン書体として販売していた[3]。
各バージョン
金属活字版

ベルトルト社のAkzidenz-Groteskファミリーは、金属活字時代末期までに以下のスタイルを展開していた。英語名は、特記のない限りベルトルト社の書体見本帳『Schriftprobe』第473号による。
- Akzidenz-Grotesk(Standard。ライノタイプでは改刻版シリーズ57として、オブリーク付きで提供)[84][73][f]
- Halbfett(Medium、直訳すると「Semi-bold」。ライノタイプでは改刻版シリーズ58として提供され、またポスター活字版も存在した)[84][73][f]
- Mager(Light。一部ではRoyal-Groteskの名称で販売)[84][75]
- Fett(Bold。ポスター活字版として提供)[84][75]
- Schmalmager (Light Condensed)[84][75]
- Eng (Condensed)[84][75]
- Schmalhalbfett(Medium Condensed[3]。元来は「Steinschrift eng」[g]の名称で販売。ベルトルト社による設計ではない[115][36]。R は曲線的な脚部を持ち、金属活字版の t はベースを持たない[84][75])

- Schmalfett(Bold Condensed[3][115][36]。元来は「Bücher-Grotesk halbfett」[h]の名称で販売。ポスター活字版として提供され、R は曲線的な脚部を持つ)[84][75]
- Extra(Extrabold Condensed。Schmalfettよりも字間がさらに詰められている)[84]
- Extrafett(Compact、あるいは直訳すると「Extra-bold」)[84][i]

- Skelett (Extralight Extended)[84][75]
- Breitmager (Light Extended)[84][75]
- Breit (Extended)[84]
- Breithalbfett(Medium Extended、直訳すると「Semi-Bold Extended」)[84][k][75]
- Breitfett(Extrabold Extended、直訳すると「Bold Extended」)[84][k][75]
レイノルズは、Schmalhalbfettについては「Bold Condensed」、Schmalfettについては「Condensed Heavy」という呼称を用いることを好んでいる[3]。
写真植字版およびデジタル版の時代になると、超極太ウェイトの「Akzidenz-Grotesk Super」など、新たなウェイトも追加された[88]。
Akzidenz-Grotesk Buch

Akzidenz-Grotesk Book(独: Buch)は、1969年から1973年にかけてランゲによって設計されたAkzidenz-Groteskの派生版である。この書体はHelveticaの普及後に制作されたため、その特徴のいくつかを取り入れている。たとえば、Q の円弧を横切るテール、R の曲線的な脚部、水平・垂直方向に処理されたストローク終端などが挙げられる[117]。また、一部のHelvetica派生版と同様に、セディーユはコンマ形へ置き換えられている[118]。
ベルトルト社の元書体デザイナーであるエリック・シュピーカーマンは、この書体を「ランゲによるHelveticaへの回答」と評している[119]。晩年のランゲは、この類似性について特に弁明することもなく、自身のオリジナル書体を模倣したとされる別デザインについて問われた際、「最高のHelveticaは、私のAG Bookだと言う人もいる」と述べている[120]。
デジタル版にはギリシア文字およびキリル文字セットが追加されており、書体ファミリーにはコンデンスド、エクステンデッド、ラウンデッド、ステンシル各シリーズも含まれている[121][122]。
Akzidenz-Grotesk Schulbuch

Akzidenz-Grotesk Schoolbook(独: Schulbuch)は、1983年に同じくランゲによって設計されたAkzidenz-Grotesk Buchの派生書体である[123]。子供が文字を識別しやすいよう、より明瞭で手書き字形に近い「スクールブック」形式の字形が採用されている[124]。
基本的にはAkzidenz-Grotesk Buchに基づいているが、1階建ての a、下部がカールした l、上下対称の大文字・小文字 k、さらに下部にカールを持たない t・u・y などの特徴を備える[125]。また、J にはトップバーが付き、M の中央部分はベースラインまで下降しない。G および R は、Futuraに見られるような形へ簡略化されている[125]。とりわけ特徴的なのは、下部にカールを持つブラックレター風のデフォルト大文字 I である。この字形は英語圏ではほとんど見られず、通常は J と誤認されやすいが、ドイツでは比較的一般的な形式である[126][127]。
各ウェイトには、代替デザインを収録した2種類のフォントが用意されている。2008年にはOpenType Pro版もリリースされた。FontFont社の「FF Schulbuch」ファミリーも、これに近いスタイルを採用している[127]。
Akzidenz-Grotesk Old Face

Akzidenz-Grotesk Old Faceは、ランゲによって設計され、1984年に発表された。それまでの写真植字版よりも金属活字版へ忠実であることを目指しており、エックスハイトをはじめとするオリジナル書体特有の寸法的不均一性を、より多く取り入れている[128][92]。また、ミディアムおよびボールドウェイトにおけるコンマ型セディーユ、レギュラーウェイト ß の内向きフック、レギュラーウェイト 1 の短い水平セリフなども採用されている[72]。
ファミリーには、レギュラー、ミディアム、ボールド、アウトライン、ボールド・アウトライン、シェイデッド各スタイルが含まれていたが、オブリークは制作されなかった[128][72]。ベルトルト社は、カール・ドゥシェクとスタンコウスキーによってデザインされたパンフレットを用いて、このシリーズを宣伝した[72]。
Akzidenz-Grotesk Next
2006年12月、ベルトルト・タイプスは「Akzidenz-Grotesk Next」のリリースを発表した[129]。この書体ファミリーは、ベルント・メレンシュテットとディーター・ホフリヒターによって設計されており、ファミリー全体を通してエックスハイトとウェイトが再調整され、より一貫性のあるデザインとなっている[129]。
初回リリース時には、単一幅構成で、ローマン体およびイタリック体それぞれ7ウェイトからなる計14書体が含まれていた[129]。その後、エクステンデッド版およびコンデンスド版が追加され、ファミリーは計42書体へ拡張された。
他の書体との類似性


1950年代には、複数の書体デザイナーがこの人気書体をモデルとして新たな書体を設計した。ダン・レイノルズは、オリジナルのAkzidenz-Groteskについて、長文組版では「大文字の黒みがやや強すぎる」という難点があると指摘している[105]。
マックス・ミーディンガーは、ハース活字鋳造所においてAkzidenz-Groteskを基に「Neue Haas-Grotesk」を設計し、これが1957年に発表された後、1961年に「Helvetica」へ改称された。ミーディンガーは、この書体をより均質で統一的なものへ洗練することを目指し、エックスハイトを高め、字間を詰め、ターミナル(終端部)を概ね水平化した[76]。
同じく1957年に登場した、アドリアン・フルティガーのUniversと、バウアー活字鋳造所のFolioも、Akzidenz-Groteskから影響を受けている。フルティガーは、自身が不要と考えた細部を排除することを目指し、G の右下スパーを削除し、1 および 7 を単純な直線形へ整理した[130][131]。
より緩やかな影響例としては、Transportが挙げられる。これはイギリスの道路標識用書体としてジョック・キニアとマーガレット・カルヴァートにより設計されたもので、Akzidenz-Groteskの影響を受けている[132]。ただし、可読性向上と文字識別性強化のため、他書体由来の字形や多数の改変が加えられている[133][134]。
また1961年頃、マシュー・カーターは、ヒースロー空港向けにAkzidenz-Groteskの改作版を制作した。この書体もHelvetica同様、ターミナルを水平化し、エックスハイトを高めている。カーターは後年「今日これを見れば、Helveticaの模倣だと思われるだろう。しかし1961年当時、ロンドンでHelveticaを見る機会はなかった。1957年にはスイス・バーゼル近郊のハース活字鋳造所で制作されていたとはいえ、仮に存在を知っていたとしても、ロンドンで植字するには飛行機でバーゼルまで行かなければならなかった。当時のイギリスの植字業界は非常に保守的で、そのような書体は実際には入手不可能だったのである」と回想している[135][136]。なお、この書体は一部の写真植字システムでは「Airport」の名称でリリースされた(ただし、同名の別書体とは無関係である)[137]。
“Akzidenz-Grotesk”(ハース社)
スイスのハース活字鋳造所では、これとは全く別系統の「Akzidenz-Grotesk」が制作されていた。この書体は「Accidenz-Grotesk」あるいは「Normal-Grotesk」の名称でも知られ、よりコンデンスされ、角張った印象を持つデザインを特徴としていた[68][76]。クプファーシュミットはこの書体について「1909年頃にライプツィヒのワーグナー&シュミット社が発表した『Neue Moderne Grotesk』の再構成版」であると説明している[138][139]。
ハース活字鋳造所は、この書体がベルトルト版Akzidenz-Groteskとの競争によって人気を失っていったことを受け、その対抗としてHelveticaを開発した[68]。
代替のデジタル化版および再解釈版

ベルトルト社版Akzidenz-Groteskのデジタルデータには著作権が存在し、名称についても商標登録されている[140][141]。しかし、多くの国々、とりわけアメリカ合衆国では、書体デザイン自体は著作権保護の対象外とされている。そのため、元のデジタルデータを再利用しない限り、別名称による再解釈版を制作することが可能である[142][143][144]。
- Theinhardt: スイスのデジタル書体会社Optimoによるリリース。エリック・シュピーカーマンは「最高のAkzidenz-Groteskデジタル化版」と評している[145][146]。
- Basic Commercial: ライノタイプは、1950年代にホットメタル植字システム向けAkzidenz-Groteskを販売開始し、現在も一般的代替名称である「Basic Commercial」の名で限定的なデジタル化版を販売している。
- Gothic 725: ビットストリームによる2ウェイト構成のデジタル化版[147][148]。
- Standard CT: アメリカの出版社CastleTypeによるデジタル化版。もともとは『サンフランシスコ・フォーカス』誌向けに「Standard CT」の名称で制作された[149]。
- Söhne: 2019年にクリム・タイプ・ファウンドリーからリリースされたバージョン。クリス・ソワーズビーによってデジタル化され、3種類の字幅と等幅版を備える[102][3][150][151]。
- NYC Sans: ニック・シャーマンとジェレミー・ミッケルによる独自デジタル化版。多数の代替字形を収録しており、ニューヨーク市観光局のコーポレート書体として採用されている[152][153][154][155]。
- FF Real: エリック・シュピーカーマンとラルフ・ドゥ・カロアによる、非常に自由な再解釈に基づくデジタル化版。2種類のオプティカルサイズが存在し、2階建て g、合字、真のイタリック体などの特徴を持つ[156][157]。
- St G Schrift: コリン・カーンが設計し、P22から発表されたStefan George-Schriftのデジタル化版。ドイツの詩人シュテファン・ゲオルゲの字形設計に基づいている[158]。
- Transport: ジョック・キニアとマーガレット・カルヴァートによる設計。
- Atkins: SoftMakerによるバージョン[160]。
- Fonetika: インドネシアの書体デザイナー、グンピタ・ラハユによる設計[161]。
- GT America: ノエル・ロイとセブ・マクラクランによる設計[162]。
- 2024年には、ルーカス・シュナイダーが、マシュー・カーターの許可を得て、ヒースロー空港書体のデジタル化版を制作した[137][163]。
- Tausend: クリストフ・ケーベルリンとガブリエル・リヒターにより2025年に設計され、Fontwerkから発表された。標準版に加え、Tausend Plakat、Tausend Soft、Tausend Plakat Soft、Tausend Stencil、Tausend Shadedを含む6つのサブファミリーから構成されている[164]。
著名な使用例


Akzidenz-Groteskは、スイス・スタイルのポスターデザインやニューヨーク市交通局での使用に加え、アリゾナ州立大学[165]やアメリカ赤十字社(Georgiaと併用)[166]のコーポレートフォントとしても採用されている。また、Akzidenz-Grotesk Bold Extendedは、アメリカ空軍のシンボル表示における「U.S. Air Force」の公式ロゴ書体として使用されている[167]。
2017年、ベルトルト・タイプスは、ターゲット・コーポレーションを著作権侵害および契約違反で提訴した。ターゲット側が、ライセンスを取得しないまま、デザイン会社に当該書体をプロモーション映像で使用させたと主張している[168]。
クリエイティブ・コモンズは、初期の「CC」ロゴおよびその後の小文字ワードマークにAkzidenz-Groteskを使用していた[169]。2018年には、その代替となるオープンライセンス書体「CC Accidenz Commons」が、クリエイティブ・コモンズ専用に設計された。ただし、収録文字セットは非常に限定的である[170][171]。
ボルボは、LucasFontsに委託して制作された、Akzidenz-Grotesk系統の書体を採用している[172]。
また、日本の自動車メーカー日産自動車は、他の複数書体と併用する形で[173]、ベルトルト社提供によるAkzidenz-Groteskのカスタム版をコーポレートフォントとして使用している[174]。